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七夕でしたね。
日付が変わってしまったのですが、七夕でしたね。
曇りがちで、雨も多かった先週末から、少しだけ天気が気がかりでした。
「七夕、晴れるといいな・・・。」
と、思いながら今日を(もう、昨日ですけど)を迎えたのでした。
僕は大学の1年目の時、寮に入っていてね。その寮祭が毎年七夕の頃にあったのです。寮祭の名前もそのまま「七夕祭」。
そんなこともあって、僕にとっては大学時代を思い出す時期なんです。
今年の七夕は、ちょっと残念というか、「ああ、願いは届かないのかな?」と、寂しくなる感じでした。というのも、どうやらまた東京は”緊急事態宣言”に入るみたいで・・・。
七夕の願いごとを書く「短冊」。歌にもありますよね。
♪五色の短冊、私が書いた・・・
って、幼稚園の頃、みんなで願いごと書いて、笹にぶら下げたりしませんでした?
短冊の五色、青、赤、黄、白、紫。
人が守るべき五つの徳、
仁(思いやり)、礼(感謝)、信(友情)、義(義理)、智(知恵)を表すそうですね。
思いやり、感謝、友情や信頼、義理や道理、知恵・・・。
そういうものが本当に「言葉だけ」「かたちだけ」にならないように、切に願うばかりです。
国や地域のリーダーとしての立場に立つ人たちの、メディアで伝えられる言葉に、この“五つの徳”が感じられないのは、私だけでしょうか?
僕の尊敬するある人が、こう言っていたんだけどね。
『学校で勉強することよりも、幼稚園くらいまでに教わることをしっかりやっていると、人はだいたい幸せになれる。』
って・・・。
「きちんとあいさつしましょう」
「大きな声で返事をしましょう」
「友達を大切にしましょう」
「人には親切にしましょう」
とかね。
便利さや効率、合理性とかそう言ったものばかり追い求めて、いろいろなものがインスタントになっていく今の時代。
例えば、いろいろな「痛み」が、人生にはあるけれど、それは肉体的には病気や怪我とかもそうだし、精神的、経済的、いろんな痛みや辛いことはあるけれど、そのおかげで思いやりや助けられることのありがたさや、そういうことを体験的に学べるんだと、僕は思っている。
もちろん「痛み」は少ない方が良いのだろうけれど、そのおかげで知ることってあると思うのです。「恐れ」だけにフォーカスするのではなく、今自分が体験している、今現在この瞬間に体験していることのおかげで、どんな成長ができるのだろう?という気持ちや受け止め方って、大切なことだと思っているのです。
なかなか、いつもいつもそのようであることって難しいし、僕もできているとは思いませんが、そうでありたい。という願いは、七夕ではなくても、僕の心の短冊に書いているのです。