答えがあるならば、出さなければならなかった。
自分が感じた「不思議だなぁ」という感覚に、素直に向き合えたのは一体いつの頃までだっただろう?
”知らない”ということが、新しい体験へと広がる、開かれた扉のように感じていたのは、本当に幼い頃だった。
見るもの、聞くもの、触れるものが、とても神秘的で、太陽に照らされた朝露の雫の輝きに目を奪われたりしたこともあった。
”新しいことに触れる喜び”というものが、幼い頃にはどんな時でもあった。痛みを伴う体験であっても、そこには幾らかの感動があった。
大きくなってくるにつれて、”知らない”ということや、”わからない”ということが、どこかしら恥ずかしいことのように感じることが増えていった。
友達ができることは嬉しいことだったけれど、勉強することはあまり好きにはなれなかった。わからないことが、わかるようになる喜びにはほど遠かった。
いつの間にか、気づいた時には「間違い」は『悪』になっていた。
常に正解を求められ、自分でもそうすることが正しい在り方だと、錯覚していってしまい、その中に囚われていった。
「答えがあるならば、出さなければなかった。」
自ら”問い”を立てることよりも、次から次へとあてがわれる”問い”に対して「答え」を出すことを求められ続けた。
自分にとっての”問い”や、自分で見出した”答え”には、まるで価値がないかのように扱われ、誰かが既に用意している理想的な答えに辿り着くことが、良いことのように教え込まれてきた。
親、先生、上司、世間・・・。
何が正しいのか?何が正解なのか?何が答えなのか?
それを決めるのは、いつも自分以外の誰かだったり、何かの組織だったり・・・。決して、自分ではなかった。
どんなに頑張って、求められる”理想的な答え”を出せたとしても、この心が満たされるような、幼い頃に感じたあの感動はよみがえりはしなかった。
「もう、たくさんだ!」
属してきた組織や、領域から飛び出すことは、この先どうなるのか?という不安も生んだことは確かだけれど、言いようのないこの閉塞感から自由になることの方が、自分にとっては重要なことだった。
自分で見出した”問い”に対して、自分自身で”答え”を創り出す。
その”歩き方”は、この心にとって、活力と希望と喜びを再びよみがえらせるものだった。
うまくいく、とわかっていることなんて、今までやったことを繰り返しているだけのこと。
一か八か、というほど、極端ではないにしろ、不確かさが有るものの中には、常に可能性がある。それは「希望」だということにも気がつけるようになった。
”意外性”というのだろうか?
人と関わる時にでも、自分の知らなかったその人の一面に触れた時、隠れていたその人の魂の輝きが、閃光のように一瞬垣間見えることを感じる。
想定の範囲内だったり、予定調和に収まったりすることなんて、さほど面白いものではないのだから。
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