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2021年 冬至

 12月22日、今日は冬至ですね。
 二十四節気の一つ、一年のうちで一番”昼間の時間”が短い日です。

 今日を境にして、明日から”光の時間”が次第に長くなるわけですね。

 秋分から冬至に至る時期は、”闇の時間(夜:光が差さない時間)”が次第に長くなる時期で、エネルギー的にはさまざまなネガティヴが表面化しやすい時期でもあります。もちろん、これは毎年繰り返されることなので、そんなに甚大な影響が出るものではなく、なんとなく活気が出ないとか、気持ちが沈みやすい、という程度のものですが。

 いろいろな出来事が日々、いろいろな場所で、いろいろな国々で起こっていますが、私たちにはそのすべてを知ることはできません。そんな中、どうしても注目されることが起こったり、あるいは”注目するように方向づけられた”物事が起こったりします。また”ある物事”に対して、注目するように仕向けられる”見せられ方”ということがあるもの事実でしょう。

 どのようなものにも、リズムやサイクル、があります。短いサイクルのものもあれば、長いサイクルのものもあります。
 時計の秒針が1周する、1分というサイクルもあれば、太陽の周りを地球が一周する1年というサイクルもあります。

 呼吸も一つのサイクルですし、四季が巡るのもサイクルなのです。

 息を吸い続けることはできないし、吐き続けることもできない。息を吸うから、吐くことができるし、どちらか片方だけでは成立しないのです。

 人は生まれ、そして死にます。

 生まれた瞬間に、ある意味”死”が確定するのです。

 どのように生きるのか?何を成すのか?

 ”生きることの意味”というものを、人は自分の人生に求めます。

 ”冬至”というこの時期は、年末が近いこともありますので、一年を振り返り、やがてくる新年に向けて思い巡らす時期なのだろうと、個人的には思っています。

 全ての日を、自分が納得いくように生きていくことは、なかなかできないでしょう。よかった、と思える充実した日もあれば、思い通りにいかず、自分を責め、後悔する日も、人生の中には必ずあります。

 どのように生きるか?どのように死ぬか?

 ”生き様”や”死に様”という言葉がありますが、そうそう自分が思うように生きることや死ぬことって、できないものなのだろう。と、感じています。

 多くの人々に注目される”生き死に”がある中、人知れずこの世を去る人々も多くいます。

 見えるものがある、ということは、見えないものもある、ということ。

 その”見えざるもの”、”知られざるもの”の方が、実はこの世の中にはたくさんあるのだろう、ということを心の片隅に置いておきたいと、思っているのです。

 報道、という形で知らされることの裏側には、見えないものや、見せたくないものや、隠されたものがある。

 もちろん、明らかにされることもあるだろうし、そうでないものもあるだろう。

 何かに注目が集まるとき、見えないものが動くには好機なわけで。
そういった”見えざるもの”が動きを見せる時期はまだ続いていくだろう。

 春分を迎え、光が強くなる頃までは、その姿を見せたくないものたちは、影の中を動いていくということを、心に留めておきながら、僕は光差すところを、歩んでいきたいと思うのです。

 冬至を過ぎると、すぐにクリスマス。

 サンタさん、今年のプレゼントはいらないから、来年を明るい一年にしてください。 

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