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5月に入りましたね。

 5月になりましたね。
個人的には、木々の葉が光を浴びて輝く新緑のこの季節は大好きなのです。

 Primaria☆Stoneナグです。
 世間的には、GW前半ということなのですが、サービス業の方は当然、お休みではないですよね(汗。

 休みの時に、楽しむことができるのは、その時に誰かが働いてくれているから。ありがたいことです。

 今年は、特に”外出を控えてください”とか、”県を跨いて移動しないでください”とかは、なかったのでしょうけれど、天候が雨が降ったり、晴れたりの繰り返しですね。

 早いもので、今年も4か月終わり、季節はこれから梅雨と経て、夏へと移っていきます。毎年、四季は巡るけれど、世界はどんどん変化していって、もう、「かつてのように」は行かないんだろうな。って、思っています。

 時代の”流れ”が、どんどん早くなり、怒涛のような情報の波が押し寄せてきて、「ちょっと間違えてしまいました」が、通用しないようになってきているような、不気味な緊張感がこの数年増してきているように思います。

 ”不寛容な世界”とでもいうのでしょうか?

 間違えることから、学べることってたくさんあるし、失敗することで大きく成長できることってある。もちろん、間違えないようにすることは大切だし、事前に危ない要素を排除していくことも大切だけれど。

 人間関係って、基本「わからないこと」が前提にあると思うんです。

 誰にだって、「初めまして」の瞬間はあるわけだし、「知らない」が「知ってる」に変わることが、安心できる関係へのステップであることも事実。

 でもね、「わかった気になる」ことって、目の前のその人のことを見失うことに繋がるよなぁ。って思うのですよ。

 どんなに深く関わっていっても、誰かのことを100%わかるってことはないのだから、そのことはある意味、”新しいその人”に出会える機会がずっと与えられている、とも考えられるよね?
 自分のこともそう。自分で自分のことを「これが俺だから」「これが私だから」と、強がってしまった時って、どこかで窮屈な感じがしないかな?

 ”知らない自分”に出会うことって、どこか怖かったりするし、”いつものあの人”が普段と違う雰囲気や態度だった時に、こっちが落ち着かなかったりすることってある。

 日本人は、どちらかというと「察する」とか「空気を読む」とか、を周りに求めてしまうところがあるから、”相手に聞く”ってことをしないことが多い。

 ”自分はこう感じた”というのは、もちろん大切にしたらいいんだけれど、自分の「こう感じた」だけを大切にするのは違うよね?

「あなたは、どんなふうに感じたの?」

「あなたは、どんなつもりだったの?」
(よかったら、聞かせてほしいな)

 聞かなきゃわからないことって、あるから。

で、「聞き方」ってのも、あるから。

 ”自分を大切にしましょう”って、最近のスピリチュアル界隈ではよく耳にするけれど、自分を大切にするあまり、周りに対して雑になってしまうのであれば、それは本末転倒だよね。

 ”個”を大事にすることと、”全”を大事にすることって、一見真逆のように見えるけれど、同じところへ繋がっていく。

 ちょっとだけ、僕はそんなふうに思うのです。

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