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“放ったものを受け取る”という真理

 ナグです。

 いろいろな人と話をする中で、ときどき思うことがあるのです。

 ある人が誰かに対して“思い”を向けたときに、霊的な見方をしているのか?物質的な見方をしているのか?で体験が大きく変わってきます。

 霊的/精神的なものを見る時の見方と、物質的なものを見る時の見方には違いがあります。違いがあるから、結果としての体験も違ってくるのです。

 そうした「違い」をどれだけの方が意識しているでしょう?

 自分と向き合うことと、”本当の自分”である自分自身のスピリットとつながることの大切さを繰り返し発信していますが、「私はできていないからダメだ。」というような立ち位置で私たちのメッセージを受け取らないで欲しいのです。

 ただ素直に「あ、そういう見方もあるのか?」とか、「ああ、そうなんだ。」とか、「そうなのかもしれないな。」というような感じでふんわりと受け止めて欲しいのです。

で、その「霊的/精神的な見方」と「物質的な見方」について、少し話したいと思います。

 僕のガイド(指導霊)である"J”から、こんなふうに言われたのです。

 「あなたがたは、自分自身が放った感情や精神的/霊的な波動がどのようにあなたの元へと戻ってくるのかをよく理解できていない。
 物質的なものと同じように扱っている。

 それらは、全く違う側面を持っているから、そのことを意識してみなさい。あなた方の体験は、あなた自身が放つものによって決まるのだから。」

と。

 最初は、【彼】の言葉の意味はよくわかりませんでした。

 長い年月を経て、体験を重ねるうちにその言葉の意味が理解できました。

 物質的なものは、誰かに分け与えると自分の手元にあるものは減ります。
 霊的/精神的なものは、誰かに分け与えると与えた分と同じように自分の分も増えます。

 このことに皆さんは気づいているでしょうか?

 そして、

物質的なもので行われる「分け与える/分かち合う」という表現は、霊的/精神的なもので行われる「分け与える/分かち合う」という表現に従属する

という性質があります。

 簡単にいうと、おなじ“分かち合い”という行為であっても、

『どんな思いでその“分かち合い”が表現されるか?』

ということで、あなたが何を体験するか?が決まってくるのです。

 たとえば、物質的なものの代表的なもの「お金」で考えてみましょう。

 手元に10万円あります。誰かに2万円渡したとします。それは何かの対価であったり、お祝いやお見舞いなどいろいろな目的があると思いますが、今は数字つまり物質的な側面だけみ見てみましょう。

 すると、8万円が残ります。10万円から2万円出したので残りは8万円。
算数で答えが出ることです。

 変化した「差額」で見ると、自分のほうは−2万円、受け取った側は+2万円、合わせて±0。全体としては変わらないわけです。

 これが霊的・精神的なものの場合はどうでしょう?

 あなたが何か自分にとって不快な感情を抱えていて、それを誰かに渡したとします。

 たとえば怒りや悲しみというようなネガティブな思いを”相手にぶつける”ような感じで、相手を責めるような感じで表現したとします。

 それを向けられた相手の心の中でも、おそらく同じような不快な感情が湧き上がってくるでしょう。

「なんであんな言われ方しなきゃいけないの!!」と憤りを覚えるかもしれません。
「え?そんなふうに思っていたなんて…。」とショックを受けるかもしれません。

 あなたが放った不快な感情を、向けられた相手も内側で不快な思いを感じてしまうことはわかるでしょう。
 つまり全体でみると不快な感情が倍増しているのです。

「お金」を渡す、という単純な行為ひとつでも、どんな思いでそれをするか?で、損をしたように感じることもあれば、お互いに「よかったな」と思える体験になることもあります。

 感情的/精神的/霊的なものは、“どんな意図で放つか”によって、物質的な世界で起こる現象に影響を与えるのです。

 そういうことを考えたとき、「自分の行動」に責任を持つことが大人の条件のように、一般的な社会では言われますが、むしろ自分の行動よりも、「自分の感情や精神や意図」にこそ、責任を持つことが大切になるのではないでしょうか?

「自分と同じように苦しばめばいい」

と思いながら、表現するのか?

「自分が苦しんだことを、同じように体験する人が一人でも少なくなるように」

と思いながら表現するのか?

 この違いは、必然的に「表現の仕方」にも影響が出てくるでしょう。

 あなたは、どんな思いで、どんな意図であなたが感じていることを「表現」するでしょうか?

 もちろん、人間ですからいつもいつも聖人君子のようにはいきません。

でも、同じ苦しみを感じる人が一人でも少なくなるように、同じ痛みを感じてしまう人が少しでも癒されますように。という思いから表現されることは、やがて祈りとなり、大きな力をこの地上へ降ろす“光の柱”となっていくのです。

 なんとなくで良いので、心の片隅に残しておいてもらえると【彼ら】も喜ぶと思います。

 読んでいただき、ありがとうございました✨😃
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あ、stand.fmも本日、更新します。(10/23 6:00配信)


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