親が苦手
友達に、「あなたは家族想いで優しい」と言われたことがある。
わたしは、「当然のことでは……?」と思っていた。
しかし、この前の記事(『どうにもならないことを受け入れるには』)を書いていて、むくむくと膨れ上がっていた違和感と不満を無視出来なくなってしまった。
わたしは、親が苦手である。
そして、それは昔からたぶんそうだった。
仕事人間で家庭を顧みない父親を、人の心がないロボットだと思い、憎んだ。
限界を迎え、爆発し、父親に殴りかかろうとしたり、物を投げたりする母親の姿に心底怯えた。
離婚を機に、父親は家事をするようになった。
母親は、とても穏やかになった。
歳のせいか、2人ともとても丸くなったし、傍から見たらこれは変なのかもしれないが「2人とも人なんだなあ」という感想を抱いたりもした。
許せれば良かった。
でもまだ許せていなかった。
わたしは多分、自分を殺して「親への感謝の気持ちを忘れない素敵な子供」であり続けた。
でも、それはあくまで「子供」なのだった。
「娘」であることと「子供」であることは違う。
「娘」であることからは逃れられなくても、「子供」はいつか「大人」になる。でもわたしはきっと、24歳にして、まだ「子供」であり続けている。
それに気が付いたとき、わたしは自覚したのであった。
本当は、親が苦手、なのだ。
母親の、辛いことをすべて自力でなんとかしてきたがために、悩み相談をすると解決策を提示してくるところ。精神科はダメなのにスピリチュアルはいいところ。わたしのよくできる面しか知らないところ。
父親の、自分に都合の悪い局面ですぐに論点をずらすところ。ひとの話を聞けないから会話が成立しないところ。わたしがテレビを熱心にみたい時に限って携帯でYouTubeをつけるところ。逆にテレビを見ているときにわたしがYouTubeをつけていると、黙ってテレビの音量を上げるところ。(わたしも逆の立場のとき全く同じようにしている所も含めとても嫌だ。)そして、わたしをできる子だと思っているところ。
なにより、親の嫌いなところを挙げていくたびに自分の嫌いなところまで露わになるところ。
親に頼れなくなったのは私だけのせいなのか?
人間関係が苦手になったのは私だけのせいなのか?
失敗が怖くなったのは私だけのせいなのか?
そんなことを思ってしまい、同時に、そんな自分が醜く見えて仕方がなくなる。
責任を取って欲しいわけではない。そんなこと今更できやしないから。
じゃあ謝って欲しいのか何なのか、それすらも分からないけれど。
話が逸れた。
親が苦手であることを自覚したと同時に、わたしは「従順な子供」をやめたのだと思う。
親を苦手だと思うことは、悪いことではないと言う人がいる。
わたしもそう思う。
むしろ、自分を蔑ろにしないために、わたしはもっと早く親を苦手であることを自覚したかった。
それ即ち、親との間に「一線を引く」ことであるからだ。
感謝はしていても、人間として受け入れられないこともあるわなと、そう思えたら楽になる。
親を憎むことと親との間に一線を引くこともまた少し違っている気はするので難しいなと思いつつ。
従順な子供であり続けた日々から、1歩前に進んだのだと思いたい。
わたしは、親が苦手である。