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1.空
「ピンポーン」
午前8時40分。
今朝も早くから宅配が届く。
日に4度、通販サイトやオークションサイトで買った物が毎日届く。
毎日"のように"ではなく、"毎日"届くのだ。
住居と併設したクリニックでは、一階に降りればすぐそこは職場になる。
「院長おはようございます」
階段を降りスタッフルームを横切る。
朝礼。
いつものように診察が始まる。
私のクリニックは内科と小児科、そして精神科。元々は精神科の労働対価的な部分なメリットを求めて開設したのだが、今ではこの診療科目が私達家族のメインとなり重荷ともなっている。
内科には副院長の宮田克之(78)彼は私の夫であり、極度のアスペルガー。彼の言動はスタッフとの関係を拗らせ、家族との関係をも拗らせてきた。
「院長、僕は午後から合唱団があるから往診はお願いしますよ」
いつものように、突然である。だからこそいつものように喧嘩になる。
コロナ禍になり、高齢の患者がそれとなく来院することがまずなくなってしまった。
仕事が空くと彼は関連施設のホールにて不定期に行われている合唱団の練習に向かう。本来なら力づくでも止めて、雑多な仕事も手伝ってもらいたいところではあるが、彼がいるとスタッフの効率も下がり、私の効率も下がる。そして何より…
昼時間は2階に上がり昼食を取る。
このクリニックを開業し40年続けてきたようなルーティンである。
「ガ、チャァ…」
クリニックと住居を結ぶ重い防火扉の開く音。
挨拶も声掛けもなく、後ろからヌッと現れ午前中に届いた段ボールの山を持ち上げる。
宮田宏明(40)私達夫婦の次男であり、私たちが作った施設曙ビルの管理者でもあり、株式会社燦燦の専務取締役でもある。
息子は就職などした事もない。
大学卒業後、なんだかんだと家に入り浸り、たまに使わなくなったマンションに閉じこもったと思ったらゴミ屋敷のようにしてまた家に舞い戻ってきた。
若い頃はまだそれでも、金銭的にフォローして上げ続けていれば、いつかやりたいことを見つけてくれると思い甘やかしてきたが、結局ついぞやりたい事など見つけるわけもなく、昼まで寝ては携帯ゲームを夜中まで続け、ネット通販で毎日何かを購入する始末。
息子は買った物を使ったり食べたりする事は殆どなく、恐らく半分以上は買ったままゴミになったり他人にあげている。
せめて肩書きだけでもと法人を作ったり、不動産管理などを名目上させて、月40万の給金という形の小遣いを与えている。
それが良くないと周りも兄弟も言う。わかっている。わかっているのだ。
しかし、その金額に手をつけると暴れてしまうのである。
「お母さん、なんでこれ冷蔵庫に入れてないの?」
「え?食べ物だったの?」
「食べ物とか関係なく、冷蔵シールが付いていたら普通冷蔵庫に入れておくのは当たり前じゃないか!」
「ごめんなさい、開院前だからバタバタしていて、受け取ったらすぐクリニックに入ったから」
「そんなの言い訳にならない。冷蔵シールが目立つ青色しているのは一眼でそれと分かるよう視認性を高めているためだし、それすらも見えないような視覚弱者なら医師を続けていく事自体社会に対するテロ行為だ」
「だったらすぐ冷蔵庫に…」
「うるさい!何故素直に謝れないんだ!親だから子供に謝れないのだとしたら人間的に欠陥品だ!今から冷蔵庫に入れたところでこの"入れ忘れた時間"は2度と取り戻せないんだぞ!」
そこまで叫ぶと、息子は壁を殴り穴を開けた。
「ほら、母さんが僕を怒らせたから、また家が一つ壊れてしまった」
息子はそう言うと幾分気を落ち着かせ、血走った目で部屋に戻っていった。
そう、これは私が医師として、母として、人として、私でいる為に、私自身が壊れそうな時に出来事や想いを書き捨てるだけのメモ帳なのである。
わたしたちは終戦直後に生まれた第一次ベビーブームの世代だ。皆が貧しく、それでも生きるために必死で生きた時代。
あの頃の私には考えられないほど、私は今、自分で死にたいと願っている時がある。
亡くなった母はよく言っていた。
何したって死ぬんだから焦る事ないんだよ、と。
戦争を経験した母が辿り着いた哲学だろう。
私は、今、死にたい。
息子に死んでほしいと強く思ってしまう前に。
母として、医師として、死にたいのだ。
空を仰いだ。
雲一つない真っ青な空が、冬らしい白い日光を泳がせる。
子供の頃から青い空が好きで、幾つになっても綺麗に感じる。きっと私の人生の中で一番綺麗なものは空なのかもしれない。私はその一番綺麗なものを毎日、あるいは毎週、見ることが出来たからこそ今も生きているのか。
昼食を終え午後の診察が始まる前に、夫が逃げた往診に向かう。
道すがら、母親に手を引かれた男児が横断歩道を横切っていく。
息子にもこんな時期があった。可愛かった。やがて死にいく私が息子にしてあげられる事は何なのか。
気づくとまた、息子のことを考えている。
よく晴れた冬の空。
私のスクーターの排気ガスが、私の好きな冷たい綺麗な空気を汚していく。
生きるということは、そういうことなのかもしれない。
続
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