浦小雪とBill Evans
サンデメの浦小雪さんがジャズ研時代に好きだったアーティストにRoy Hargrove(ロイ ハーグローブ)とBill Evans(ビル エバンス)を挙げていたので
熱心なサンデメファン、浦小雪ファンのために,、その酷すぎる人生を送った孤高の天才ピアニスト"Bill Evans"を紹介しようとおもいます。Royもコカイン中毒でしたが直接的な死因は14歳から透析を受けていた腎不全でしたので、今回はBillだけにしようと思います。
とはいうものの、おそらく現代でも彼はものすご〜く有名でJazz界で後世に最も影響を与えたJazzマンの一人として称えられていて、wikiを読むだけでも相当な情報ですし、ウィキに載ってないBillネタはすごく限られていますので、あしからず。
本名 William John Evans 1929〜1980ニュージャージー州出身
彼にまつわる話は麻薬を抜いては語れません。
ただ、当時のJazzの世界は麻薬だらけだったのです。
彼の父親は兄と同じ名前のウェールズ出身 Harry Evansハリーエヴァンスでアルコール中毒でした。
ロシア正教の母親、Mary Evans(Solok)メアリーエヴァンスがBillに音楽の手ほどきをします。
地元のNorth Plainfield High Schoolを1946年に卒業し、Southeastern Lousiana Universityに入学します。1946当時、州外生のBillが入るには800ドル必要でしたが、フルートの特待生となり入学することが出来ました。
1950年に卒業し、55年にLucy Reed ルーシー リード(ジャズシンガー)の伴奏でプロデビューを果たし56年には初のリーダー作New Jazz Conceptionsが発売されます。最高傑作Waltz for Debbyも収録されたこの作品、年間で800枚しか売れませんでしたが、業界からは相当な評価を受けます。
神々からの誘い
そして、転換期。
1958年。あのMiles Davisからのお誘いです。
当時神セブンならぬ神シックスみたいなメンバーです。しかもガチの。
Miles Davis トランペット
John Coltrane テナーサックス
Cannonball Adderley アルトサックス *
Paul Chambers ベース
Jimmy Cobb ドラムス
Bill Evans ピアノ
まさに錚々たるメンバーです。
彼はその時すでにヘロイン中毒でした。
そのことでMilesから小言を常に言われ続け、またBill以外全員黒人の中の白人であることをMilesから揶揄われ内向的なBillはますますヘロインにハマっていきます。
そもそもこのメンバー表の中で、一人だけアスタリスクをつけているCannonball Adderley。実は<<彼以外 元々全員麻薬中毒者>>です。
当時のJazz界、特にbebop界はヘロインが大流行していました。
Milesが下積みをしたbebopの神Charlie Parkerがヘロイン大好きメロメロマンだったので仕方ありません。
Milesは49年頃からヘロインに手を染め、堕落し、54年にCold Turkey(完全監禁)で麻薬を絶ったと自伝にあります。
本当かよとも思いますが、55年に一度Johnはヘロインを理由に解雇されているので本当でしょう。
なのでMilesは本当にBillがヘロインをやめることを望んでいました。
ヘロインや人間関係、また自虐的なBillにとって、自分以外があまりにビッグネームということもあり、この中で自分の実力を発揮することに自信を失いかけていました。また、何よりも自分がリーダーのバンドをやりたかった事もあり、一度バンドを去ります。
しかし再度Milesから呼び出され、1959年、ジャズ史上最大のヒット作となる『Kind of Blue』を作り上げます。
最高の作品ではありましたが、やはりBillには不満が残ります。Billの中では作品を軽く扱われクレジットにもまるで盗作されたかのように扱われたのが不満で、Milesと再度距離が生まれていました。
59年にはBill Evans trioを結成し、61年にはJAZZ史上最も有名なライブアルバム『Sunday at the Village Vanguard』を発表します。
しかしその直後、ベースのラファロが交通事故で亡くなり、最高の船出が突如の沈没となります。
内縁の妻
失意の中、全ての活動を放り投げていた時期に出会った人が、Ellaine Schultz エレイン・シュルツでした。
62年、Billは新しいトリオを結成し活動を始めます。
その間もヘロインと共に活動を続け、体は確実に蝕まれていきます。
66年ラファロの代わりに入れたチャックイスラエルと入れ替わりでエディゴメスが加入します。
その年、アル中だった父Harryが健康を害してこの世を去ります。
しかし父親との関係が複雑だったBillはそれについて何もコメントは残っていません。
68年今度はドラムが入れ替わります。
ヘロインは性的欲求を衰退させます。男性は勃起不全、女性は興奮の低下に陥ります。Ellaineは執着が強く依存度が高い女性だった、 Billはそんな彼女に辟易して、徐々に彼女との関係が拗れ始めたと言われています。
正妻
73年にBillは彼女に別れを告げ、同年にNenette Zazzara(ネネット・ザッザラ)と結婚します。
そんなBillに追い打ちをかけるようにニュースが飛び込んできます。
別れたばかりの内縁の妻 Ellaine Schultz NYの地下鉄にて飛び込み自殺
絶望という名の地下鉄
別れた後呪詛を塗り付けられたBillの作風には大きな変化が見られるようになります。破壊欲求の矛先は明確に自身に向けられ、より自虐的で内省的なっていきます。
75年、Billがヘロインからコカインに変えたのは少しでも体の負担を軽くする為だったと嘯いて、それがもっともらしく伝わっていますが、時系列を辿ると、息子Evan Evansが生まれた後に、目的達成もあって手を染めてしまったのでしょう。
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上記のように考えられる理由として、実は73年のEllaineの自殺の前に、Billはロックフェラー大学においてメタドン療法を受け、ヘロインをやめることに成功していたのです。
それは何の為だったか。
子作りの為でした。
Billはどうしても子供が欲しかった。
そして、Ellaineは子供が出来なかった。
それは二人の別れを決定づけたものでした。
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さておき、コカインに変えたらヘロインで鍛えた体には大したことない。そんなはずもなく、肉体は最悪の状態になっていきます。
78年の頃には手の浮腫みが最高潮となり、パンパンの状態で演奏を続けています。
そんな状態のBillは、私生活も乱れついにはNenetteと離婚します。
Billが最後に愛した女性
そこに現れる一人の女性。22歳のLaurie Verchomin(ローリー・ヴェルコーミン)です。
当時Billは50歳。演奏で入った中華レストランのウェイトレス、20歳以上年下の女性を走って追いかけてゲットするヤク中。時は79年4月13日の金曜日。
彼らは手紙のやり取りをはじめますが、同月、Billの兄であるHarry Evans jr.は統合失調症からのピストル自殺をしてしまいます。
彼氏もいて父親より年上のヤク中を選ぶ22歳は、翌月にはNYまでBillを訪ね、兄の死を嘆くブラコンの50歳ヤク中男の嘆きを深い愛で包んでいきます。
Laurieの為の曲。Laurie。
Bill Evansの最期
1980年9月15日、Bill Evansは長年の薬物からの出血性ショックでこの世を去ります。
彼の死を評してGene Lees(ジーン・リーズ)は
『彼の死は、時間をかけた自殺というべきものだった』
と言った。
この言葉はあまりに有名で、Bill Evansを表す言葉としてこれ以上にないくらい当てはまっています。
では、彼の最期を看取ったLaurieは何と言ったのか。
『私は彼が死んでホッとした。それくらい彼は苦しんでいたし、彼を見ているのが辛かった』
『彼の中に創作と破壊の二つの衝動が同居していた。音楽を創作し、自分を破壊していった。』
相補性の法則
相補性の法則という言葉があります。
自分に無いものを求める欲求を指します。
浦小雪さんがBill Evansについてこう語りました。
『ヤバい人っていうのも含めて好きでした。
なんか私は全然ぶっ飛んだ人にはなれないから。
なりたいかと言われたらなりたくは無いのかもしれないんですけど。
自分とすごい遠いところにいるって意味でぶっ飛んだ人に憧れがち、ですね』
破壊無くして創造無し 橋本真也
自民党をぶっ壊す 小泉純一郎
日本をぶっ壊す 小沢一郎
NHKをぶっ壊す 立花孝志
少し振り返るだけでたくさん居ますね、壊す人。
世界的に有名な破壊思想といえば、1900年代初頭のダダイスムになるのでは無いでしょうか。
ただ、一般的に言えば破壊する人と創造する人は別々です。
そっちの方が専業になり効率が良いですし、負担やロスが少ない。
正反対の二面性を同時に持ったとしても多重人格者のように完全にイカれてしまえれば、自身を傷つけずに済んだのかもしれない。
Billの場合は精神的なものと音楽の創作ですからまたちょっと違うのですが、それでも一人の心に破壊衝動と創造衝動が同居していたならば、内と外への棲み分けをするしかなかったのかな、と考えてしまいます。
決して長くもないBillの人生、
まさに禍福は糾える縄の如し、ですね。
ちょっと追っただけで、疲れてしまいました。良くも悪くも人生フル稼働って感じがします。
LaurieはBillの最初の手紙の返事にサルトルの言葉を贈ったと言います。
私もサルトルの言葉で好きな言葉があります。それは先のBillの人生の感想に寄ってる言葉になるのですが。
ボートを漕がない人間だけが、ボートを揺らすことが出来る。
Bill Evansはずっとボートを漕いでる人だったんでしょう。
22歳のお尻を追っかけることもまた、彼に取っては大事なボート漕ぎだったはず。
自分はボートを揺らしてばかりだなぁ、と反省してしまった
秋の夜長です。
夜、延ばしてみない?