キリンジと労働
今までに10以上の仕事をしてきました。ホテルのバンケット、レストランのホールでサービススタッフが4年。接客対応含む事務系が3年。空港の荷物預かり。などなど。
一番長いのが、高校・大学での講師業務。高校が4年間。大学が11年間。前者は、何かを教えるというより、高校生と一緒にもがく日々。
進学校のスパルタ授業と合わなくて、不登校になり、精神不安定になり、ご家族も不安を抱かれているなか、なんとか、学生、保護者、担任(わたし)で、進級できるように、最低限の出席日数を重ねていく。
そのなかで、果たして、学ぶとは、学校組織が求める受験勉強用のコースで自己ベストを更新し続けることなのか?
と学生に話すことばから説得力が失われていくわたし。もちろん、そのような、大卒以降の生活の安定のための受験勉強に疑問を持たない学生さんも多数いました。自分もかつては、そのひとりだったし。
そんな学校組織の「大学進学者数を増やしましょう」という経営方針と
実際に学びの本質からはズレてるなあと感じるわたしと
学校に来れなくなる学生さんのツラさの中で
土日や夜にふと聞いていた
キリンジサウンドは
この世界で生き抜く強さは
じぶんだけのチカラじゃないよ。
数々の幸運な偶然が重なって
わたしが出来上がり
ただ自分の意志だけ、想いの強さだけで
生きなくてもいいよ。
今生きられてるに至るまでの
自分以外の人の助けやちから
そーゆーのぜんぶに頼っていいし。
わたし自身も見知らぬ誰かの
名もない功労者なんだよ。
という
いまなら当たり前!と思えることを
不思議な歌詞世界とキッチリ組まれたサウンドに聴く人を誘いながら
世界は見えないとこに支えられて
ひとは生きている
ということをたびたび
おもいださせてくれました。
「虹のようなものに
からだをあずけ
君と休日ダイヤで流す
車窓から世界を眺めてみれば
「僕らはもうヨソ者じゃない!」
そんな風に思ったりするよ」
(キリンジ「休日ダイヤ」)
人生の多くは
高速道路。
朝決まった時間に起きて
慌ただしく身だしなみを整えて
通勤・通学のため移動しながら
考えることは
その日やるべき果たすべきこと。
職場や学校では命の火を燃やす。
でも
ある日急に
高速走行が出来なくなるじぶんにきづく。
遠くに見えるデッカくて明るい
「虹のようなもの」をみながら
もう気づく前みたいには
走れなくなった僕らは
「休日ダイヤ」で走る電車に乗って
そこから見える風景は
もう自分がコミットできない(関われない)
遠くにある世界みたいだけど
僕らが降りた高速道路に対して
今の僕らを卑下することなく
「僕らはもう」
この世界の
「ヨソ者」
なんかじゃないって
はっきり感じる。
自分が降りた場所
そこで生きていくことに誇りを持って。
遠くに見える世界で頑張る人も
自分の近くで支えてくれる人も
同じくらい
辛さを持つ。
それは見えないだけ。見せないだけ。
みんなと一緒に学校に行かずとも
ある年齢がきたからと結婚せずとも
わかりやすく説明できる仕事ではなくとも
今いる場所が自分の場所で
そこで生きていくよ
そんなことを20代後半のわたしに
思わせてくれたキリンジの数々の詩。
結局
県立高校の教員を辞めて
そのあと
さまざまな仕事を経験し
また学び直し
あんなに辛かった教育の現場に戻るいま
ある種また
馬車馬暮らしをしながらも
場所がどこでも
私が生き抜けるのにいちばんピッタリな場所で
人は自分の情熱をまた見出せる。
その情熱は
自分の内側からではなく
出会うべくして出会えた大切な誰かが
持ってきてくれる。
だからそんなふうに
流しながら流れながら生きていくのもいいよね。
そんなことを久々に聴いた「休日ダイヤ」で
自分を取り戻したのでした