社交辞令辞めたら楽になった
突然ですが、世の中に社交辞令を口にしたことのない人など存在するのでしょうか?
特に日本においては、処世術として大変重宝されており、組織に所属する人にとってはマスターすべきスキルだと思う。
だがしかし、それは「思ってもない事を口にしている」という事である。
つまり、自分に嘘をついてまで相手を喜ばせようとしている。
目の前の相手がそこまで自己犠牲を払う価値のある存在なのかどうか考えてみて欲しい。
私の事を言うと、以前大きな組織で働いていた事もあり、社交辞令なんて息をするように口にしていたし、何の疑問も違和感も持たずに生きてきた。
しかし、ある時にそれをひっくり返す事が起きたのだ。
それはもう7~8年前に私の趣味である着物を着ての食事会の帰りだった。
大雨が降っており、傘だけでは間違いなく着物も濡れる事は誰もがわかる状況だった。
私は会場まで公共交通機関で来ていた事もあり、バス停迄歩くつもりでいた。
その時、ある方が「私の車に乗せてあげるわよ。家まで送ってあげる」と提案があった。
今の私なら、イヤッホー‼️とばかりに大喜びで飛び付くのだが(笑)
当時の私はこう考えたのだ。
「いや、あの人家と逆方向の人だから、そうは言っても人目もあるし、社交辞令なんじゃないか」
完全にひねくれている…。
結果乗せてもらったのに、抱えなくても良い罪悪感まで感じていた。ドMもいいとこだ。
なぜ私がこの思考パターンに陥るかというと、
ズバリ私が、日常的に社交辞令を言う人だからである。
自分が社交辞令を言う人だから、相手の言葉が社交辞令に聞こえるのだ。
で、ある友人から素敵なアドバイスをもらった。
社交辞令かも?と思っても、とりあえず笑顔でありがとうって乗っかってみる。
本当に社交辞令だった人は、ゲッ!こいつ本気にしやがったと思って、二度と近寄って来なくなる。
そうしたら、私の周りには、本当に私を助けたい人しか残らないので、社交辞令かどうかなんて考えなくて良くて合理的。というものだった。
たしかにそうだ。
シンプルだ。
なんでも自分でややこしくしてたんだろう。
そうだ、きっと暇なんだな。
暇潰しにウダウダ考える時間を作ってたんだな。
で、これ本当にやったら、めちゃくちゃ楽になった。そして自分も社交辞令言わなくなった。というか、そういうことを言わなきゃいけない組織を離れ、好き放題やってるので、まさにストレスフリー。
コロナなんかかかるわけない。免疫機能MAXよ。
というわけで、社交辞令というスキルはなるべく早く手放した方が人生楽しいよという話です。