心で観て心で聴く
【今月聞いてきた話しで感じた共通点】
そのままの自分をわかって欲しい
なんで否定するの?
寂しいよ
話の内容や事象は違うのだけど
共通して届いてきたのは
この3つでした
どれだけ伝えても伝わらなくて
苦しい
それでも
なんとかわかってほしくて
自分はこう思ってる
自分はこうしたい
こういうことが嫌
そういうのはやめて欲しい
と、訴えても
親の常識や当たり前としてある感覚
聞いた人の常識や当たり前としてある感覚で
アドバイスや意見が返ってきたり
いい悪いの判断をされる
じゃあ、どうするの‼︎という
本当に聞いてくれようと質問しているわけではなくて
心配が抱えられなくて溢れた問い詰め
すると
言っている側は
あなたのことを思って…のことなのだろうけれど
自分という人間の気質や
思い感じていることを受け止めてはもらっていないので
否定のメッセージとなって伝わってしまいます
敏感、繊細だと特に
こんな自分じゃダメなんだ
こう感じる自分は変なんだ
親の指し示す自分でないと受け入れてもらえないんだと
本当の自分を変えないと生きていけなくなって
居場所がなくて
でも、それって本当の自分ではないから苦しくなって
"じゃあ、自分はどうやって生きていったらいいの?"とわからなくなっていく
でね
「寂しい」って伝わってきます
その子が
何を感じているのか
どんな考えを持った子なのか
どんな気質なのか
放つ言葉から何を伝えようとしているのか
黙ーって心で観察することで
今まで見えていなかったことが見えてきます
気持ちに寄り添い
黙って聴く
変に言葉を発するくらいなら
心の中で
「あなたの言葉を聴きます」と言って
どしっと構えて覚悟して
心で話を聴く姿で在る
すると
その在り方が子どもにとどきます
中高生から長かったら大学生くらいまでは
こうしたらこうなるかもしれない
もしかしたら、こうなってしまうかもしれない
で、こうなって…
そしたらこうなってしまって…と
そんな心理状態になる時期で
その特徴が特に表れやすい
大人に向かっているのだけど
大人になる前の
ジャンプする前に
思いっきりしゃがみ込む時期なのだと感じています
だからね
アドバイスや心配だからと焦って変に言葉を発した
否定のメッセージではなく
あなたはあなたで大丈夫なんだよ
ここにいていいよ
何を感じてもいいよ
と伝わる姿で在ることです
ここまで
子どもの立場で書きました
じゃあ
心配で不安な親の気持ちはどうなるのよ!ってことですが
少しずつ心配や不安を抱えられるようになること
そのために
自分自身が誰かに受容的に話を聞いてもらうことや(アドバイスしまくる人は受容的ではないので、ただただ聞いてくれる人)
自分の心配や不安に寄り添うこともできます
ノートに自分の心配や不安を書き出してください
そこにはどんな自分がいるでしょうか?
それを客観的に読んでみると、何を感じるでしょう?
是非、そのノートにいる自分に
仲のいい友達へ言うような優しい言葉をかけてあげてください
"どんな大人になっちゃうかと思うと怖くなったよね"
"親には責任があるからこそ、注意して正したくなるよね"
"自分とは違うから理解できなくて苦しいよね"
"誰も悪くないよ"
こんなふうにねん♡
ではまた