板橋老師謁見記 1

写真は御誕生寺本堂。

北陸の春はしっとりとやわらいでいた。越前(福井県)の中部に位置する越前市は、日野川の流域に開けた美しい町である。白い山脈をはるかに望む清流の里、その郊外に御誕生寺(ごたんじょうじ)はある。
北陸道の武生インターを降りると、五分程で、その静かな佇まいの伽藍に辿り着くことができる。
駐車場に進入すると、目に付くのは、数多くの猫たちである。今では八十匹もいるそうである。地元では猫の寺として有名になっているようで、私が訪れた時も、数人の猫好きの人々が、無心に猫とともに戯れていた。

無類の猫好きである板橋禅師をはじめ、雲水さんたちに可愛がられている猫たちは、恐れるということを知らないようだ。人を見ると親しげに近づいて来て、しゃがむと懐に顔を突っ込んでくる猫もいる。人間は自分たちの最愛の存在ででもあるかのようだ。
しかしここは修行道場になっているため、建物の中には猫を入れないことになっているということだ。
群れからはなれて境内の奥の方にたたずむ猫もいる。群れの猫は、表情がぼんやりしているように感じられるのだが、はぐれ猫は実に良い目をしているように私には思えた。(人間も同じなのだろう)そういった猫の一匹が私にとてもフレンドリーに近づいてきて、どこまでも付いて来る。「ニャー、ニャー」というその声は、「おじちゃん、帰らないでずっとここにいなよ」と言っているように思えた。(いつから動物語を解するようになったのだろう)

夜7時半からの坐禅に参加させていただくべく、一旦ホテルにチェックインしてから、再びやって来たのは7時頃であった。
やや年輩の雲水さんが、にこやかに案内して下さる。
円覚寺の居士だということを知って、その方は驚き、また喜んで次のように言われた。
「私は、釈宗演老師(円覚寺の四代前の老師)の碧巌録の本をずっと読んできましたよ。あの方はこの福井の高浜の出身ですよ。
実は今日、禅師の後任になる老師の入山式があったのです。老師は曹洞宗と臨済宗の両方を学んでこられた方なのです。あなたも今後学ぶと良いですね。」
(その老師のお名前はよく聞き取れなかった)

禅堂に案内される。私は臨済宗しか知らないので、その方は曹洞宗の作法をていねいにご指導して下さった。
静かで美しい禅堂には、弱い暖房が入っていた。冬でも窓を開け放して坐る臨済宗の荒々しさに比して、何と言う快適な修行環境だろうか。(しかしこれはご高齢の禅師のために敢てそうしているのだろうかとも思われた)

早めに来て面壁して坐禅しているので、その後誰が入って来て坐っているのかは知る由もない。
臨済宗の居士のはしくれなので、気合を入れて凛として坐ったつもりである。しかし私は、穏やかで優しい気に包まれている心地だった。
さすがに猫を大事にするような禅道場である。私はインドで瞑想していた頃の感覚を思い出していた。

入山式があったためなのだろう、この夜の坐禅は一炷(いっしゅ ; 約40分)で終りとなった。上座より順に退場してゆく。一番上座から歩いて来られたのは、板橋禅師であった。
私の前でピタリと止まると、禅師は、
「あなたのご希望通り、お会いしましょう。私の部屋においでなさい」
と言われた。
私は突然お邪魔した身で、まさかお会いしたいとは雲水さんに申し上げていない。しかし、お会いしたいものだと思っていたことは事実である。何の幸いであろうか、しかし本当に良いのだろうかという躊躇いもある。禅師はさっさと歩いて行かれる。モジモジしていると、先程の雲水さんに付いて行くようにうながされた。

(ALOL Archives 2013)

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