猫のように生きる


板橋興宗老師「猫のように生きる」より

p-39
 道元禅師は五十三歳の若さでご遷化されています。もし八十歳まで生きておられたら、もっとやさしく仏法をお説きになられたでしょうね。あるいは、『正法眼蔵』をみんな焼いてしまわれたかもしれません。「これの著述も私の若気の至りでなあ。ただただごくあたりまえでいいんだよ」と言ってね。

p-43
 「あたりまえでいい」と言われると、「それでいいのか」と頭で理解するでしょう?ところが、頭の理解と「ああー、本当だった」という気づきには大きな違いがあります。

p-44
もう私には、仏法というものはまったくありませんね。

p-155 
机を叩いてみなさい。音が聞こえるでしょう?ここから、窓の外に松の木が見えます。私が見ようと思う前に、すでに見えている。見えていること、それが事実です。今、気づかないうちに息をしている。それが事実なのです。その時、その時のからだの実感。寒い、暑い、という実感こそが「命」そのものなのです。
 今ここに生きている。「今、ここ」という実感ですね。手で触れた、目に触れた、その時のからだが、じかにわかっている。これ以外に命はありません。これ以外に仏道はありません。これが、私の六十年の修行の結論です。
 しかし、そこに留まると観念になります。「そういうものだ」と、理解に留まることではありません。一刻、一刻、その場、その場なりに「実感」していることです。

   ※以上で引用を終わります

上記p-39に述べられている内容は、何とも過激ではある。
曹洞宗のトップにまで就かれた方が、高祖・道元禅師の主著を焼き捨ててしまおうというのであろうか。
このことについて私は禅師にお尋ねしてみた。
「ああは書きましたが、どうなんですかね。ちょっと後ろを御覧なさい。」
振り返るとそこの壁には、良寛さんの般若心経(の写し)が、額に入れられて飾られていた。
「ワシは入院しているとき、これを模写してみたんだが、実に楽しくなるんだ。ところが道元禅師の普勧坐禅儀を写していると、肩が凝ってくるんだねえ。道元禅師と良寛さんお二人にお会いしたとしたら、誰が会っても、良寛さんの方に親しみを覚えるんではありませんか。
だからといって、良寛さんの方が道元禅師よりも上だとか下だとか、そういうことではありませんよ。
良寛さんに、宗派を率いてみろと言っても、まずそんなことはできませんね。
その人その人によって、役割も発揮されるやり方も違ってくるということなんでしょうねえ。」

故・板橋興宗老師(インターネットより拝借)
和やかなお人柄ながらも、時々鋭い眼光がキラリと光る

(ALOL Archives 2013)



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