無字と私

臨済宗の坐禅では、公案という禅の問題を参禅者に課すのである。公案の見解(けんげ)を示すため師の部屋に入ることを、参禅、独参、あるいは入室(にっしつ)と言ったりする。
京都のほうの叢林(そうりん; 禅道場の意)では、一般に在家の者には公案を見せない(与えない)傾向がままあるようである(長くやっている人は別だろうが)。僧堂での修行生活に即して公案を見るのでなければ、あまり意味がないと考えるからなのであろう。
関東では在家の者でも、僧堂の雲水さんに伍して公案修行に取り組んでいる人々を多く目にする。公案に関しては、関東は恵まれていると言えるのではないだろうか。

初めに与えられる公案は、一般に「趙州無字(じょうしゅうむじ)」であることが多いようである。
私が龍澤寺を出て、H道場のM老師に初めて相見(しょうけん; 修行者として面接すること)した時、老師の第一声は、
「無字をどう見ますか」だった。
龍澤寺では正式に無字として参禅していたわけではなかったので、それが私の初めての正式な公案参究であった。まだ20代半ばでの話である。老師はもう70代の半ばであった。
変な理屈を述べると、老師はすぐさま鈴を振った(否定の合図であり、退室せよという意味だ)。一年あるいは一年半くらいであっただろうか、来る日も来る日もそんな参禅が続けられた。
私はというと、無字は初関(最初の関門)であり、また究極のものでもあるはずだから、何年でも納得するまでやり続けるつもりであった。参禅は、「無字」がどうしたということでは必ずしもないのだろう。坐禅の熟成度、そして自分自身が冷暖自知して納得することが何より大事なのに違いない。
やがて私の無字は、猛々しいものから、次第に穏やかなものへと変わりつつあったかも知れない。ある意味、無字は呼吸そのものでもある。

そんなある日入室すると、老師は少し躊躇いながらもこのように言われた。
「公案を変えてみましょうか」
無字がそれで良い、とは一言も言われない。むしろ、あんたには無字は無理なようで、埒が明かないから、仕方がない、別な公案でもやってみますか、という風にも聞こえる。私は少々不満な顔をして黙っていたのだったかも知れない。無字で徹底できたという思いは少しもなかったからだ。
老師から次の公案が示される。そのとき老師は以下のような言葉を添えられた。
「これも無字と別ではないのですよ。この公案を無字で見てごらんなさい。」
ここに至って、私は「そうか」と納得した。どんな公案でも、それはこの無字をより深く参究するためのものであり、無字そのものなのだろう。

ある時一人の僧がやって来て、趙州に問うた。「犬にも仏性がありますか?」と。
趙州は答えて言った、「無」。

(趙州和尚、因みに僧問う、狗子に還って仏性有りやまた無しや。州云く、無。)

(ALOL Archives 2013)

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