板橋老師謁見記 3
私は、OSHOの元での、サニヤシン(弟子)である。
サニヤシンとは、もともとインドの伝統の中で出家者という意味だが、OSHOは新しい時代のサニヤシンは、世俗を捨てることなく一般人として世間に留まり、しかも世間に染まることなく、真実の道を歩む探求者であると規定した。要は、おかしな恰好をしたり、特別なことを行うような宗教家にはなるな、ということであろう。普通のあたりまえの生活の中にこそ本当の道はある。
私は禅においては、臨済宗・円覚寺の居士のはしくれでもある。(三島・龍澤寺の居士が始まりであったが) すぐれた大先輩方の中にあって、文字通りのはしくれなのである。大先輩というのも、文字通りであって、もうすでに修行を一通り終えたような大修行底の方々もおられる。(鈴木大拙博士などは同門の大先輩の一人である) 層の厚い円覚寺においては、私程度の居士は掃いて捨てるほどいるものと思う。
今回、曹洞宗の板橋禅師様にお目にかかることを得て、感激ひとしおであった。その感激をこうして綴り、禅師様をお讃えするのは、他宗のしかも人様のお師匠様であることに最大限の敬意を払うためでもある。
自分の師匠をやたらに褒め称えるものではない。それでは手前味噌になってしまう。人様の師匠は褒めて褒めすぎるということはない。思う存分好きなだけ褒め称えて良いのである。
いや、それにしても、あのような素晴らしいお方にお会いできるというのも、何の過去生の善業によるものであろうか。
禅師は私に、出家してはどうだと、再三お勧めくださった。
あまり長居してはお邪魔になると思い、「もうそろそろ」と申し上げたときには、はや一時間くらいも過ぎていた。お話の半分以上は、出家の道についてのお示しであったと思う。
禅師は言われた。「ワシは坐禅をしに来た者に、こんな風に声を掛け、こんなことを話すということはまずない。そうせざるを得ない何かをあなたに感じたから、こんなことを言っているのだ。」
私は(偉そうなことを言う割りに)自分にあまり自信がない自虐的なところがあるので、禅師の言葉はそんな私を励まし、そして本当の自分自身に目覚めよと言っておられるようにも感じられた。
「坊さんには停年なんていうものはない。年を取れば取るほど、人のために働くことができ、また人からも大事にしてもらえる。こんなやりがいのあることが他にあるだろうか。やることをひたすらにやっていれば、生活のことなどは一つも構わんで良い。そうやっていれば、食べる物でも何でも皆持ってきて下さる。この寺にも檀家などは一軒もないのだ。」
禅師は、お坊さんとしてやって行くにはどのような方法があるか、実に具体的に話して下さった。
「僧堂の修行には、そんなに長く居らなくても良い。
入ることのできる寺はいくらでもある。曹洞宗で言うと、一万五千箇寺ほどあるが、今その二割は兼住になっているのだ。
また田舎には、住む人がいなくなったような家がたくさんあって、ただであげるから住んでくれというような所もある。
またあなたが今住んでいる所をお寺として使うということでも良いだろう。」
最後の例などは、おそらく禅師のお師匠さんの一人である井上義衍老師のことを念頭に置いておられたのではないだろうか。井上老師は若くして悟られた方であるにもかかわらず、普通の家庭生活を営みながら、小さな寺(浜松の龍泉寺)に生涯住して、数多くの弟子達を育てられた類い稀な方であったということだ。
五十半ばになる現在まで、居士(あるいはフリーの瞑想者)としてやってきた私であるので、このままで行くべきだろうと考えてきたのであったが、禅師のこのお示しは、まことに重大なものであったと思う。
私の友人の中にも、お坊さん予備軍のような方が少なからずおられるので、そのような方々にも、禅師の今回のお話をお伝えする次第である。
私は目前の仕事と生活をとりあえず続けながら、禅の修行をもう少し深め、いずれ出家の道を探って行きたいものだと考えている。
(ALOL Archives 2013)