板橋老師のぐうたら禅 1
板橋禅師様は、厳しい規律の海軍兵学校在学中に終戦を迎えた。
郷里の宮城に戻られて、そして遅れて大学に入られたが、ぐうたらな生活によって精神のバランスを崩されたらしい。劣等感に苛まれ、ノイローゼ状態になってしまった。あのまま行ったら自殺に向かっていたかもしれない、と言われる。
そんな中、坐禅をしているという学生に出会われる。
以下「猫は悩まない」からの引用である。
【p9】
「あなたは坊主ですか」と尋ねました。すると「そうではない」と言う。仙台市にある輪王寺で坐禅をしながら通学しているが、学生服を盗まれたので法衣を借りて着ているのだと言うのです。
興味が涌いた私は、「坐禅をすればどうなりますか」と問うと、「足下がふらつかなくなる」と答えがきました。【引用終】
これが禅師様の、禅とのはじめての出会いであった。因みに、以前にも書いたことがあるが、この輪王寺は私にとっても因縁のあるお寺である(ここが経営している幼稚園に私は入れられていた。みどり幼稚園という)。
禅師様は深刻な不眠症で苦しんでおられたが、禅寺に泊り込んで規則正しい生活を始めたら、大学の講義の最中、よだれを垂らして寝てばかりいる学生に変貌したという。喜悦のご様子が目に浮かぶようである。
【p14】
私は輪王寺で生活を続けていましたが、厳寒のある日、書院の北廊下を雑巾掛けしていたときに、寒さのために拭いている雑巾が凍ってしまい、ツルッとすべりました。私はそのとき、「この自分は、禅寺の規則正しい生活以外に道はない」と、啓示めいた思いを感得し、涙しました。【引用終】
ここから禅師様は、お坊さんになりたいと思われたということだ。禅師様の出家は悲壮感からではなく、絶望の淵から救われた、という歓びからのものであったのだろう。生まれ変わってもまた禅僧になりたいと、どこかで仰っておられる。
輪王寺のご住職・日置五峰老師の勧めによって、横浜総持寺の渡辺玄宗禅師様の下で出家され、修行を始められる。渡辺禅師は長く円覚寺でも修行なさった方であり、曹洞宗・臨済宗の両方に通じておられた方である。日置老師という方も、臨済宗の山本玄峰老師(龍澤寺)に参じておられた方である(はずである)。私が幼稚園で目にしていた園長先生もこの方であったのだろうか。因縁というのはまことに恐ろしいものである。
さて、本を先に読み進もう。
禅師様は10年修行されてから、御自分のお寺を持たれることになった。今の御誕生寺の近くの小さなお寺だという。さすがにもう、ぐうたらは直っただろうと思っていたら、そうではなかったらしい。
【p77】
しかし、けじめある生活は、2カ月と続きませんでした。そこへ郷里から母が来たので、なけなしの金を出してもらい釣り鐘を作りました。朝の5時に突けば、「あのおっさん、起きているな」と分かり、次の日も突かねばなりません。人の目を気にして生きる智恵を絞ったのです。
しかし、それも1カ月とは続きませんでした。そこでまた賢くなりました。鐘を突いてから寝るのです。近くの人がやってくると、寝間着ではまずいので、法衣を着て寝ることも覚えました。しまいには、それもできなりなり、こんなことではいかんと決意し、横浜の総持寺に入れてもらいもう一度修行をしなおすことにしたのです。47か48歳のころでした。それ以来、現在にいたるまで修行道場と名のつくお寺に身を置いてきました。
自分は、規則や締め付けがなければ自分自身を律することができない人間であることを痛感しています。傍目を気にし、人を意識してこそ、ケジメある生活ができると自覚しています。【引用終】
なんとも面白いお話だが、私にとっては、笑って済まされるような問題ではないのである。私にも大いにその気(け)あり、と言わなければならない。学生時代にも、朝に寝て夕方起きてくるというような無茶苦茶な生活をしていたことがある。今でもちょっと油断するとそんな事になり兼ねないグウタラな私なのだ。
私が思うに、禅師様はおそらく何らかの理由で、体内時計のようなものが正常に働かないというハンデを負っていたのではないだろうか。
スーパーマンのような禅僧の伝記が多い中で、禅師様のこのようなお話は、ひ弱な精神の現代人にとって、大いに示唆と勇気を与えてくれるのではないだろうか。
御自分の弱さと、置かれた現状(それがいかに理不尽なものであれ)、それを正面から受け止めた上で、それなら一体どういう生きる方策があるのかと模索する。これこそ人間の智慧というものではないだろうか。まあいいやと適当に妥協するのでもない。ガムシャラに突き進むのでもない。
禅師様の場合は、生涯、禅の道場に暮らして、雲水さん達と同じ生活をする。と言って、何も無理な事や苦行じみたことを殊更に行うのでもない。仏道の威儀を日々粛々と行じていく、こういった生活にはなにか床しいものが感じられるように思う。
ぐうたら生活で破綻をしかけた、そのことがなければ、そしてそれを克服しようとする模索がなければ、今の禅師様はなかった。その大きなハンデこそが紛れもない導き手だったのではないだろうか。
それによって禅師様は、スーパー禅僧も及ばないような比類のない悟りに達せられた、と言って間違いではなさそうである。
(ALOL Archives 2013)