板橋老師・柔らかな心で
板橋興宗禅師著「柔らかな心で」より
禅師様からいただいてきた本の2冊目に、「柔らかな心で」というのがある。禅の指導者が著した本としては異例のものであり、驚くべき内容となっている。
これは金沢市の北國新聞(ほっこくしんぶん)社によって出版された本で、ごく一般の人々から寄せられた質問に、禅師様が一つひとつ答えておられる簡潔な人生相談集となっている。
内容は7つにジャンル分けされていて、以下のようである。
1.子育ての問題、2.夫婦の不倫の問題、3.嫁姑の問題、4.妻が夫に持つ不満の問題、5.仕事上や様々なことでの問題、6.たたりや占いを信じる人々の問題、7.親に関する問題
中には、何もこんな質問を禅寺の和尚さんのところに持ってこなくても、というようなものまである。しかしそれらはいかにも現代人の抱える悩みの諸相を如実に表わしているもののようである。
ある禅の老師は、弟子である次の代の老師にバトンタッチする時に、こんなことを言われたという。
「いろいろな人が相談に来る事があっても、次の二つのこと以外に言ってはいかん。困った問題を抱えた人が来たら、ああそれは大変ですねえ。何かいいことがあった人が来たら、ああそれはよかったですねえ、とこの二つだけで良い」、と。
これはいかにも禅の立場を表わしているようにも思える。言葉を費やせば費やすほどに、泥水は余計に掻き回され、問題の解決から遠のいて行くといったことがあるに違いない。(しかし、もうちっと何とかならないものであろうか。)
ましてや曹洞宗の管長様を勤められたようなお方は、人跡を絶した深山のお寺の奥にじっとしていて、世間的なことに一々関わるべきではない、といった感じを持ってしまう。
この本はある意味、板橋禅師様の真骨頂、その禅が如何に一般の人々に寄り添ったものであるかを示している。人々の悩み、心の弱さを熟知しておられる。そうでなければこんな質問によく答えなどできるものではない。適当な答えをして済ませているのではない。英知のきらめき、透徹した般若の光が、惜しみなく分かち与えられているといった書になっている。
こんな質問があなたに寄せられたら、あなたは何と答え得るだろうか。そのような視点で読んでみたら、また別の意味が浮かび上がってくるかも知れない。
この本の中に寄せられている質問を一つだけ取り上げてみる。一つだけ選ぶのも難しいことだが、最も情けないと思うような現代的な質問を敢てここに引用してみる。
【p94の質問】
結婚して一年になる20代の主婦です。結婚生活を続けていくべきか悩んでいます。結婚する前、私は職場の上司と不倫の関係になりました。しかし、上司の家庭を壊してまでという勇気がなく、私が身を引きました。そのころ知り合ったのが今の夫です。上司はその後も何度か電話をしてきましたが、「結婚すれば追ってこないだろう」という気持ちもあって、優しい夫と一緒になりました。結婚後は夫との会話も少なく、夫婦生活は正直言って苦痛です。かといって、今は取り立てて思いを寄せている男性もいません。子どもができれば夫婦のきずなが深まるのかもしれませんが、このまま空疎な時間を費やしていくのが不安です。
【以下は禅師様の回答である】
人は転ぶと石のせいにし、石がなければ坂道のせいにする。失敗は他人のせいにしたがる。これが世の常です。
結婚一年目の楽しいはずの生活を「空疎な時間」としか思えないとは、なんと不幸なことでしょう。これを昔の上司や現在のご主人のせいにしてはおりませんか。現在抱いている、むなしい感じは、あなた自身がつくり出しているのです。このことに本当に気がつくまでは幸せは望めそうにもありません。
優しいご主人に巡り会えたので不倫の関係も清算できたのでしょう。それなのに、夫婦生活が苦痛とはどうしたことですか。しかも、「今は取り立てて思いを寄せている男性もいません」とは驚きました。そういう心の底には、ボーイフレンドたちとキャーキャーはしゃぎ回っていた独身時代のことが懐かしく、「夢よもう一度」と願っているのではありませんか。
結婚生活はドラマで見るようなウキウキしたものではありません。楽しいことより、平凡でつまらない時間の方がはるかに多いのです。困ったことや、苦しいことを夫婦が協力し合って乗り越えてゆく道のりにこそ、しみじみとした幸せが味わえるのです。これから子育てに追われ、夫婦喧嘩をしたり、世間付き合いの難しさを経験しながら一人前の主婦に育ってゆくのです。あなたの人生航路は始まったばかりです。無事平穏を祈ってやみません。
(ALOL Archives 2013)