現代と瞑想13 立禅
肩幅よりやや広めに立ち、膝は内側に折り、腰を落とす。かかとを少し浮かせるようにする。
手はあたかも大木を抱いているように前に差し出す。
目は開いて前方に落とす。
この立禅は、内的なエネルギーすなわち気を養成し、瞬間的な爆発力を体得するための方法である。また足腰を鍛えるためのものでもある。はじめは5分10分もできないものであるが、次第に長く立てるようになると、自然に気が体得されるようになるという。
中国拳法をごく大まかに分類すると、外家拳と内家拳に分けられる。
外家拳は、少林拳に代表されるように、形から入り肉体を鍛えながら、技を習得してゆく拳法である。比較的短期間に(数年のうちには)ある程度の成果を見ることが出来る。
内家拳には、太極拳・形意拳・八卦拳等があり、これらは内的気功を養う事から始める。習得するのが難しく、成果が現れるまでには長期間を要する。しかし一旦会得すると、年を取っても強さが失われることはないとされる。
澤井健一氏の拳法は、形意拳の流れを汲むものである。澤井氏の師の師である郭雲深(かくうんしん)という人は、対戦した相手のほとんどを死に至らしめた恐るべき遣い手であったという。このため三年間の牢獄生活を送ったが、この間にさらに「魔の手」と呼ばれる神技を編み出したとされる。
日本でもかつてそうであったように、武術とは文字通り命のやり取りを決するものであったのだろう。現代の我々からすると、何とも殺伐とした身も凍るようなものであったことか。
郭雲深の弟子の一人が王向斉(おうこうさい)である。王向斉は「師の神技は、気の力によるものであり、それを習得せずして本来の技はない」として、あらゆる型などの枝葉末節をすべてそぎ落として、ただ立禅によって気を養う事を中心に据えた。すば抜けた強さを発揮し、軽く手を触れただけで、対戦相手は電撃を受けたように卒倒したという。そんなバカなと我々は言うまい。前回私はそれについてレポートしたばかりである。王向斉の拳法は、中国拳法の精髄を集大成したという意味で「大成拳」と呼ばれた。
澤井健一氏がはじめて王向斉老師に出会ったのは、まだ血気盛んな若者の時であり、すでに相当の武術の遣い手であり自信満々だったという。このとき老師はもう枯れた老人であった。澤井氏はあらゆる技と力を尽くして、老師に挑みかかったが、軽くあしらわれるばかりであった。そして突き飛ばされるごとに、軽く心臓の上をトンと叩かれたのだが、その度に刺すようなそして心臓が揺れるような変な痛さを感じて、恐怖を覚えたという。澤井氏はそれまでの自身を完全に失って、目の前が真っ暗になり、ひたすらに老師に教えを請うに至ったのである。
王老師が軽く心臓を打ったというが、私はさすが国手とまで言われた人だと思う。これは手心を加えたのである。実際には人を殺し得る威力を持っている。トンと軽く打つことで、「お前はもうすでに死んでいる」と言っているのであろう。郭雲深ならためらいもなく殺していたかも知れない。ある意味血に飢えた殺人鬼である。宮本武蔵も生涯に六十余回の真剣勝負をして、すべてに勝利して(斬り殺して)いる。粗暴な殺人剣ではある。
王老師の元での修行は、立禅を何年もやらされるばかりであった。あまりに辛い単調なこの立禅の修行に、「こんなことをやっていて一体何になるんだ」と思ったという。王老師は、「あなたに気の力を何百回何千回説明してもわかりはしないだろう。それは自分の力でしか得られないものだ」と言うばかりであった。
澤井氏が本当に気を会得したのは、戦後日本に帰国して、いろいろな武術家と立会いをしている時であった。ある日突然、これが「気」だと悟ったのだという。太気至誠拳法を創始し、拳聖とまで言われた澤井健一氏にして、こうだったのである。その弟子の西野皓三氏がいかなる天才であるかがわかろうというものである。
ちなみに静としての立禅は、動へと移行していくときに、「揺(ゆり)」、「這(はい)」、「練(ねり)」という鍛錬法へと繋がっていく。ここではこれ以上の説明はしない。
禅では、行住坐臥すなわち日常生活のすべてが禅であると教えられる。坐禅そして立禅。また歩く禅としての「経行(きんひん)」がある。そして動中の坐禅としての作務。また
臥禅なんていうものもある。
白隠禅師曰く、動中の工夫は静中の工夫に勝ること百千億倍す、と。
(ALOL Archives 2012)
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