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タイムトラベルを終えて -「3台目のタイムマシン」(5)-


新しい自分を作る時間


0を手にしたことによってタイムトラベラーは任務を終了した。最終的に0になったのである。元の状態に戻ることが幸せであるのなら、タイムトラベルに出かける必要性は疑わしくなる。0は、元の状態に戻ったという意味の0ではない。出発点という意味の0だ。つまり、タイムトラベルに出かけた地点は0ではなかったのである。疑わしい0だ。

「1、2、3が全てであって、他は0と一緒なのかもしれない。」

を思い出す。

例えば、タイムトラベルに出かけた地点は19だったとする。19を先程の文にあてはめてみる。

「1、2、3が全てであって、他は19と一緒なのかもしれない。」

19は0ではない。だから、0が安定して幸せな状態だとしたら19は不安定な状態である。しかし、0になる可能性も秘めている。一緒なのかもしれないを一緒であるにすることによって、つまり、19を0にすることによって幸せで安定した状態になるのだ。0は出発点であって、安定した状態を意味する。不安定な自分はいくらがんばっても信じることができないので、そんな自分を崩して壊す作業が必要になる。それがタイムトラベルである。いわば新しい自分を作るための時間なのだ。

一見タイムトラベルは無駄な時間に思えてしまう。だから、多くの人がタイムトラベルに出かけること、タイムトラベラーになる事を躊躇してしまう。しかし、人生において無駄な時間などない。時間は止まったり逆に動いたりはしないのである。ゆっくりでも前に先に動いているのだ。だから、迷い、悩んでいる時間があったら思い切って心の旅に出かければ良い。特に背負うものが比較的少なく時間にもゆとりがある学生時代は、タイムトラベルに出かける格好のチャンスである。学生とは対照的に職を手にした人や結婚した人がタイムトラベルに出かけるのは少々困難である。だが、そういう人達のためにタイムトラベラーがいるのである。タイムトラベラーの創造する未来は彼らのみの未来ではない。タイムトラベルに出かけるのが困難な人は、共感できるタイムトラベラーに自分の夢を投影し彼らを応援すると良いのだ。

上記のことからも、タイムトラベルに出かけることが可能な人は自分のため、そして、出かけたくても出かけられない人のために勇気を出して心の旅に出て欲しい。

夢を捨てない大人への近づき方

タイムトラベルをして0の境地に達することがいかに素晴らしいことであっても、すべての人がそれをできるわけではない。ここでは、そういった人達のタイムトラベルとの向き合い方をいくつか具体的に見ていきたいと思う。

タイムトラベラーの未来に共感する
まずは、タイムトラベラーの未来に共感するという方法である。これは、比較的簡単な方法だ。自分の身近な人でも有名人でも誰でもいい。共感できる未来をもつタイムトラベラーを探してみて欲しい。特に同年代が良い。そして、少しで良いから彼らの真似をしてできる範囲の努力をするのだ。共感しているばかりは駄目である。良い影響をもらい、自分も良い未来にたどり着くためにできる限りの努力をする心持ちが大切である。

自分の夢をタイムトラベラーに投影する
これは、年配の方におすすめの方法である。自分が叶えられなかった夢をタイムトラベラーに投影するのだ。決して押し付けてはいけない。立場は逆なのである。そのことを間違わなければ、若いタイムトラベラーからたくさんの幸せな気持ちを授かることができるだろう。まるで、自分の夢が叶ったかのようなそんな喜びが得られ、たくさんの元気や勇気をもらうことができる。

タイムトラベラーを応援する
これは、先ほどとは逆に若い世代に試していただきたい方法である。まだタイムトラベルを必要としない世代は、タイムトラベラーにエールを送って欲しい。そうすることでその人の生き方に憧れを抱き、そして夢をもつようになる。若い頃から世の中のタイムトラベラーのことを意識していると、夢をもち、その上で必要な努力をし、上手くいかない時も夢と現実を上手く擦り合わせることが可能になる。

以上が非常に簡単ではあるが、タイムトラベルに出かけることのできない人達のタイムトラベルとの向き合い方である。ただ、絶対タイムトラベルに出かけられない訳ではない。もしかしたら、突然、チャンスが巡ってくるかもしれない。その時のために、できる限りの努力を日々しておくと良いのである。チャンスを逃さない姿勢を持つことが必要だ。

無知の知から広がる無限の可能性


0と∞

タイムトラベラーが最後に捨てた紙切れの内容はこうであった。

「1、2、3が全てであって、他は∞と一緒なのかもしれない。」

最初は、「1、2、3が全てであって、他は0と一緒なのかもしれない。」とあった。タイムトラベルをしたことによっていろいろなものを得たタイムトラベラーであったが、その後、それらはことごとく彼らの目の前から消えていった。そのことから、自分には何もないつまり0だということを知った。そして、ノートにあの一文を書いたのだ。しかし、それを書いた紙切れだけは残った。それまでは、自分の前から何かが消える時、なぜだろう、取り戻したいといった感情を抱いていた。だが、この時は消えるであろうものが残っていたのだ。しかし、そのことには動じなかった。あの一文が変化していたからだ。0だと思っていた。何もなくなって0だと思っていた。しかし、次の瞬間すぐにそれは0からあるものに変化した。∞である。自分が0であることを知ったことによって∞であることを知ったのだ。0であるということを知るということは無知の知である。つまり、自分は何も知らないということを知り、自分は凡人であるということを認識するということだ。タイムトラベラーは、自分がタイムトラベラーでも何でもなく凡人であることに気が付いたのだ。そのことに気が付かない限り、その後、何を手に入れても∞にはならない。限られた可能性しか手に入らないのである。0から∞が生まれた。つまり、無が無限を生み出したのだ。無と無限は本当に少しの違いしかないとも言える。0と1の違い、無と有の違いとは異なるのだ。

1と2と3

1と2と3はどういうものか。タイムトラベラーは、ノートの中に他にこのようなことを書いていた。

幼い頃、「タイムマシン」の存在を知った。その「1台目のタイムマシン」の色や形、機能が「タイムマシン」の概念となった。それからしばらくの間、「1台目のタイムマシン」=「タイムマシン」の構図が成り立っていた。そして、それが長い間続き固定された。しかし、ある時「2台目のタイムマシン」に出会った。その色や形、機能は「1台目のタイムマシン」と違っていた。「タイムマシン」のイメージは2つになり、固定概念が崩れた。そして、それと同時に、「3台目のタイムマシン」の存在を知った。

この文章は、1、2、3がどういうものかが書かれている。0が無であるならば、1はあるものが存在する、つまり有るということになる。その有るということに対してそれとは別の何かが生じた時、それは2という数字で示される。だから、2は対立や分裂という意味を持つことが多い。3は、この1、2という対立軸とは異なる方向に現れる最初のものである。1だけだと思っていたのに2があった。だから、3もあるのではないかとなる。3は創造された新しい存在なのだ。



4はないのか。もちろんある。しかし、3の次の4は、4は0と一緒なのかもしれないのだ。言い換えれば、∞と一緒なのかもしれないのだ。「4台目のタイムマシン」はあるにはある。しかし、それは同時に「0台目のタイムマシン」が出現したということになるのだ。「4台目のタイムマシン」は「0台目のタイムマシン」と一緒なのかもしれない。言い換えれば、「タイムマシン」はないのかもしれないということになる。そして、その後「無限のタイムマシン」の存在を知ることになる。

予定は未定、決定もまた未定


タイムトラベラーが手にした本は全部で3つ。時間旅行記、白い本、ノートである。白い本に書かれていたことは何であったか。

「白い翼、白い雲、白い石を得た順番を記せ。」

である。実は、タイムトラベラーが開いた白い本のページは、最初ではなく最後のページだったのだ。最初からきちんとページを開くと実は他にもこんな項目があった。

9.白い翼と白い雲は何であったか。
10. ひとつ扉の「3台目のタイムマシン」はいつ消えたか。
11.七色の貝殻は何であったか。
12.七色の貝殻が白い石になったのはなぜか。
13.白い翼、白い雲、白い石を得た順番を記せ。

白い本は職業選択と生きがいについて書かれるはずのものであったのだ。タイムトラベラーが時間旅行記の最後のページに書いたものと、白い本に書かれるはずであったものが一緒だったか違っていたかは分からない。違ってもいいのだ。なぜなら、タイムトラベラーは最後のページの質問だけを見て答えを書くことができたのだから。もし、時間旅行記と違うことが書かれていたとしても、つまり、夢を捨てない大人としてどう生きていくのかの予定と実際の職業や生きがいが結びつかなかったとしても問題はないのである。予定は未定、そして、決定もまた未定である。どちらにしろ最後の質問に答えることができるのだ。

現実逃避をしてしまう時


「3台目のタイムマシン」の話はこう始まった。

私たちは、当然のことながら現在を生きている。そうでない人は、現実逃避という状態なのだろう。

人生、良い時ばかりではない。タイムトラベラーにもそういう時が訪れた。せっかくの副産物が目の前から消えていった時だ。タイムトラベラーは、目の前の副産物しか見えなくなり視野がとても狭くなっていた。創造するというタイムトラベラー特有の能力が全く生かされない状態になってしまっていたのだ。そして、気が付いた時には黒い翼を付け、黒い雲の中にいたのだった。タイムトラベラーの心の扉は開かなくなり、そして、とうとう外に出るのをやめてしまった。その後、副産物のことを気にしすぎていたことに気が付き元気を取り戻すのだが、そのことに気付かず最後の副産物からも何かを作り出そうとしていたらどうなってしまっていたのだろう。

タイムトラベラーは、最後の副産物を組み合わせ始めた。そこには、白くて硬い石みたいなものが現れた。

「ただの石ころになるなんて。」

怒ったタイムトラベラーは石ころを蹴っ飛ばそうとした。次の瞬間、白い石は消えてしまった。

「もう何もなくなってしまった。」

そう思った時、頭が急に重たくなった。触ってみると頭の上に石が乗っていた。黒い石は何回どけても頭の上に戻ってくる。タイムトラベラーは、ますます鏡を見ることも、外に出ることも、心の扉を開くこともできなくなってしまった。

この状態が続くと現実逃避やひきこもりになってしまう恐れがある。タイムトラベラー、つまり、夢を叶えられる可能性を残して生きている人は、負の要素が全くなかったりそれを自然に回避できる力があるという訳ではなく、人生、誰にでも負の側面があるということを知った上で、回避する方法を探し、困難を乗り越えていくことを繰り返し続けているのである。

生きがいを手に入れる


タイムトラベラーは七色の貝殻を手に入れ、多くの時間を費やすようになっていった。七色の貝殻はタイムトラベラーの趣味となった。七色の貝殻を手にしているということは、同時に黒い石を手にしていないということである。それは、趣味があるということは、現実逃避から離れた状態にあることを示している。七色の貝殻は白い石に姿を変えた。長い間続けた趣味は生きがいになっていく。七色の貝殻は趣味だけの副産物ではなかった。仕事、遊び以外のすべての副産物である。いろいろなことが生きがいになるのだ。七色の貝殻は興味の対象であり、自身の存在価値を見出すものと言える。仕事が上手くいっていない時は、遊んでいても何だか楽しくない。遊びに重点が置かれると安易な生き方になってしまう。そこで必要となってくるのがこの生きがいである。生きがいというと何か特別なもののようだが、自分の好きなこと、ずっと続けていけそうなこと、仕事でも遊びでもなく楽しいと思える時間がそれなのである。

人とのふれあい


ひとつ扉の「3台目のタイムマシン」はある時消えてしまった。そのことにタイムトラベラーは声をあげて泣いたのだった。その後、開きっ放しだった扉が突然閉まった。これは、実はタイムトラベラー以外の誰かが扉を閉めたのだ。このことによって、ひとりで扉を開けたり閉めたりする必要がないことに気が付いたのだ。タイムトラベラーは悲しくて泣いたのではなかった。誰かが扉を閉めてくれたこと、そして、誰かが扉を開けてくれるということに気が付いて嬉しくて泣いたのだった。

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