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社長としての夫を支える妻の心境。

夫は中小企業の経営者で、仕事も趣味も人付き合いも大好きで、ほとんど家にいません。

私は、夫の出張中、家で1人でいることも、毎日1人でご飯を食べることも慣れてきていましたが(数年前に再婚)最近夫の在り方にとても不満を溜めていました。

それは夫が忙し過ぎて余裕がなくなると、些細なことで、私に怒鳴る散らす、ということが立て続けに起こったからです。

明らかに、そんなに怒ることではないよね?その異常なキレ方はあなたの問題だよね?という凄まじい怒り方でした。

私は繊細で傷つきやすい、という自覚はありますが、女性が男性が怒鳴り散らすのを見て、平気な人はいるのだろうか?と思うくらいそういうのに耐えられないので、怒りやすい(瞬間的にキレやすい)のを何とかして欲しい、と思いました。

夫が怒鳴り散らした翌日、私が怒り(そのときは萎縮し怖くて何も言えない分、沸々と後から怒りが湧き上がる)ながら真剣になんとかして欲しい話すと、はじめは言い訳していた夫も、「わからない」「どうして怒ってしまうのかわからない」と困り果てた様子で言います。

たまたまその日は夫がはじめてコーチングを受ける日で、「私の代わりにあなたが話していいよ。」とよくわからない流れになり、でも何かこの流れに乗った方がいい、と直感的に感じたのでコーチと私たち夫婦と3人で会うことになりました。


そこで感じ取れたことは、コーチは私に夫を夫としてみるのではなく、社長としてみることの必要性を言っている、ということでした。

はっきりそう言ったわけではないですが、私の夫への不満を聞いた上、コーチが導きたいのは、

夫を夫としてではなく、社長として理解していかないないといけない、という私への教育だと感じました。

「怒り」案件も、私が詳しくは話さなかったのもありましたが、思っていた以上に軽く流されて、経営者がどんなにリスクを背負い、ビジョンを持ち、それに向かって1人で日々孤軍奮闘しているか、それを理解してあげてほしい、という気持ちが読み取れました。

私が夫への不満をふと口にしてしまうたび、夫の周囲から言われてきた言葉であり、私も頭ではわかっているのに、と何ともやるせない気持ちになりました。

私は、本当に相手を思いやれるのは、自分をしっかり思いやれた後になる、と感じています。


私が私を充分愛し、認めて満たせていたら、どんな夫もゆるし愛せるのでしょう。


が、私は仕事意外の週末も丸一日中、趣味や人付き合いで夫が時間を埋めているのを見ると、


「私は何でこの人といるのだろう?」


週に1回夕食を一緒に食べれれば、今週は一緒に食べただろう!とエバったように言う夫を見ているとき、ふと、


「こういう結婚生活を私は続けていきたいだろうか?」


と感じたりしていました。


そんな私の気持ちとは裏腹に、周囲の人は夫への理解を示し、夫を気持ちよくさせる言葉を言い、私の態度は夫への理解不足、忍耐力のなさ、と感じている言葉を言います。


そんなとき、私がまずやるべきことは、夫に合わせて動くことばかりでなく(他人軸)、私が何をしたいか、どうしていきたいか、今どんな気持ちでいるか、を読み取り行動していく(自分軸)ことなのだろう、と感じます。


周囲の男性たちが、どれだけ私に正論を言っていても、私の内面が傷ついていて癒されていなければ、夫を立て、夫の気持ちにばかり寄り添っていたら、私の精神が死んでしまいます。


私が私を本当に大切に思えてはじめて、夫を本当に大切に心から理解し、尊重できるのでしょう。


私は夫が忙しくしすぎると、不満を持つのは、本当は哀しみであり、私は見捨てられた、愛されていない、と両親に感じてきた、かつての癒されていない痛みが湧き上がってきてしまうのだろうと感じます。


どんなに他人に理解されなくても、私がやるべきことは夫を尊重し立てる以上に、自分を尊重し自分の気持ちを蔑ろにしないことなのだろう、ととても感じます。

そうして、そのひとつとして、こうして自分の気持ちを外に発散して整理ができるこのnoteの存在はとてもありがたいと感じています。


私のこの気づきが置かれた環境は違えど、似たような心境でモヤモヤしている方の何かヒントにもなれば幸いです。


お読みいただきありがとうございます。

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