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短編 / 掌編

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#掌編小説

短編『始めるために』

 21時を過ぎて、祭りは完全に終わった。  待ち合わせた恋人は結局来なかった。  僕はため息をついて会場を離れ『空車』と表示されたタクシーに手を上げた。タクシーが止まり、乗り込もうとして一瞬、体が止まった。  運転手は女性で、白い手袋をはめていたが制服ではなく浴衣を着ていた。 「いらっしゃいませ」  明るくさっぱりとした声だった。 「珍しいですね。浴衣姿の運転手さんは」 「羽織ってるだけだけどね。ズボンも履いてるし。でもお祭だから特別。ついでに今日は気に入った客しか乗せな

小説『Mind Dance』

 狭いアパートの重いドアを開き、行儀悪く靴を脱ぎ捨てて部屋に入ると、ゆらめくように夜がやってきて部屋全体を闇が吞みこんでしまっていた。  外を歩いているときはそれほど暗さを感じなかったのに。ため息をつき私がいない間この部屋にずっと留まっていた空気を換気するために奥の窓に向かう。ガラス戸を開き、ベランダに出て周辺を見回すと幾世帯もの家の窓に、ぽっとそこだけ浮かび上がるような照明がいくつか灯っている。透明な風がしのび込みレースカーテンが揺れる。部屋が薄ぼんやりとした生き物に見え

小説『淡い色の花』

 午後17時。沢村麻子は仕事の手を休めた。同僚たちも帰り支度をしていく。  ロッカーでは同僚らがプライベートな話に花を咲かせていたが、麻子は仕事以外ではあまり付き合いがないのでほぼ加わることがなかった。 「ねえねえ、今日あの店に予約取ってあるんだけど付き合って」 「また行くの?」 「もちろん! もう一週間経ったし」  麻子はその会話が耳に入り、一週間経たないと行けない場所? どこだろう? と、ふと疑問に感じたが気軽に問いかけられるほど器用な性格ではないため思考を打ち消した。

小説『すべてが思い通りにいかなくても』

 夢だと思った。  しかし、目が覚めた時に見えた天井は自分の部屋ではなかった。そうだ。これは病院の天井だ。待合室で背中を丸めて順番を待っている時、この天井が目に映っていた。模様は日によって犬の顔や人の顔に見えたりした。だからと言ってそれらを見つけても感慨深いという感情は皆無だった。ただ、ここにこうしているという事は、私は助かってしまったのか……。  昨夜、深夜の事だ。もう何にもしたくない、そんな後ろ向きな自由を望み、私はほとんど衝動的に自分が住むマンションの三階の部屋の窓を

小説『悩めるいとしい日々へ』

※登場人物  リリー ・・・ 主人公。高校一年生。マリママとローが大好き。  マリママ ・・・ リリーの祖母。  ロー ・・・ リリーの飼い猫。グレーの毛。  マリ ・・・ リリーの母親。夫の浮気により情緒不安定。  お父さん ・・・ リリーの父親。浮気をしてマリとケンカが絶えない。  エリ ・・・ リリーの友達。  リバース ・・・ リリーの友達。  「悩めるいとしい日々へ」  十二月初旬。十六歳を迎えたばかりのリリーが大切にしているのは飼い猫のロー。全身、黒色にパウ

掌編『ざわざわ』

 僕が初めてあなたに会ったのは雨の日だったね。  僕は仕事の帰りで広い車の中で快適に後部座席に身を沈めていた。そう、結構良い仕事をしていたんですよ。運転手なんてつくくらいのね。 土地の開発の為、森林の整備をする。この日全ての契約が纏まり、天気とは裏腹に心の中は達成感で一杯だった。  あなたはその日、誰かを待つように公園のブランコに揺られていた。 袖のない薄紫色のワンピースを着て黒くて長い髪をアップにして雨風に身を任せていた。洋服が雨に濡れてあなたの肌にしっとり張り付いていた

ショコラの甘い風

「楠田、一杯付き合え」   12月。  私、楠田美緒は会社の仲間たちとのごく軽い飲み会を終え、そのまま帰路に向かおうとした所で、先ほど別れたばかりの先輩上司にこのように声をかけられた。  先輩とは普段から割とストレートに物を言い合う仲ではあるが、突然背後からこんな乱暴な口調で声をかけられたので驚いた。 「え? 先輩、車に乗って来てるじゃないですか」 「あれだよ」  先輩が指をさす方向を見ると、コンビニエンスストアだった。  「最初からそう言って下さいよ。突然『一杯付き合え』

歩む

 校舎を出る際、陽射しが少し傾き、それでもなお残る暑さに面食らった。今日は誰とも話をする気分になれず、早退するかのような早さで玄関を出た。何となく外の空気が無性に吸いたかった。  ゆっくり一人で歩いていた僕のリュックに、後ろから誰かがぶつかって来た。中学生の頃、3年間同じクラスで仲が良かった歩(あゆむ)だ。今の高校でも偶然同じクラスになった。 「あ、ごめん。」 「おう。」 「もう帰るの? 早いね。」 「歩も……」  随分早く帰るんだな、と言おうとしたが止めた。 「ああ、うん

跳ねっかえりの天使

 そっと窓ガラスを開ける音がする。彼女だ。そのままリビングに入ろうとしたのだが、窓を覆うカーテンが彼女の体に纏わりついた。更にカーテンの開き口になかなか辿り着けず、手でもがいたため、優雅とは言い難い様子でやっと入って来た。  彼女が僕の部屋に来る時は、こうして玄関からではなく窓から侵入してくる。他人が聞いたら犯罪者のようだと思うだろう。しかしその犯罪者紛いの行動を取ってやってくるのが僕の恋人なのだ。僕が許しているのだから問題はない。 「カーテンは開けておいてって言ってたのに