人間なのにえらいね
社会人になって、昼食用のお弁当を自分で作るようになった。
初めは簡単なものばかりだったけど、最近は少し手の込んだものも作れるようになって嬉しい。
昨日の「照り焼きチキンと鶏そぼろ弁当」は、自分でもなかなかの出来だったんじゃないかなと思う。
自分が料理をするようになったら、人の料理にも興味を持つようになった。
インスタグラムでお弁当の写真をアップする主婦や、「#おべんたぐらむ」という少し笑ってしまうような可愛らしいハッシュタグを、私はフォローしている。
そんな中で、3人の子どもを育てるシングルファザーのアカウントを見つけた。
その人は毎日違ったメニューのお弁当を作っていて、プロフィールの欄には「一番下の子が小学三年生なので、お弁当生活はあと9年は続きそうです😅」と書かれていた。
その人の投稿に「男の人なのにすごいです」とコメントがあるのを見つけた。
コメントの意味はわかる、私もそう思う、だけどそれって褒め言葉なのかなって疑問に思った。
「○○なのにすごいね」って褒め方に、どうして違和感を感じてしまうのだろう。
「若いのに将来のことしっかり考えてえらいね」「女の子なのにバリバリ仕事しててえらいね」「男の人なのに気遣いができるね」
この世界は『○○なのに』から始まる褒め言葉で溢れている。
言ってる方も悪気はないのだと思う。
だけどやっぱり、この言葉には二重の失礼が含まれていると思う。
例えば「男の人なのに料理が出来てすごい」という言葉。
そもそも男の人は料理ができないという前提なのも失礼だし、女の人は料理ができて当然という風潮も押し付けがましくて嫌な感じ。
「若いのに」も「歳なのに」もそう。きっと自分以外の誰かを、勝手に分類して区別化(時に差別化)してしまうから出る言葉なんだと思う。
じゃあさ、提案なんだけど、皆同じ条件に揃えない?
ついでに、もっとハードルも下げちゃわない?
ねえ、私たち、人間なのにえらくない?
人間っていうのは、自分次第でどこまでも妥協できてしまう生き物なのに。
今が楽しければいいって考え方も、誰とも接さずに一人でいることもできる。ご飯だってコンビニで買ってもいいし、極論キュウリとかそのまま齧ればいい。
その膨大な逃げの選択肢の中で、頑張ることが出来る人間、ほんとえらいよね。
時々サボることがあっても批判するのはお互いやめようね。私たち人間なんだし。
四連休が始まったから、今日は部屋をピッカピカにお掃除しちゃった。えらくない?
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