◇飯島貫実師との出会い①◇貫実師の紹介
20歳のある日、本屋さんで手に取った「ヨーガ革命①肉体篇」がとても面白かった🌟
そして、続けて「ヨーガ革命②の精神原理篇」を購入した時に、本にお知らせのチラシが挟まっていました❗️これが貫実先生との運命の出会いでした。
そのチラシには、ロサンゼルス在住の飯島貫実師の著書の売れ行きが良いので、日貿出版が主催で、夏頃に、貫実師を招くことになったこと。それと、銀座の日貿出版社の入っていたビルの一室で、隔週の土曜日に「仏教ヨーガ」のクラスが開催されることになり、生徒を募集するとのお知らせでした。もちろん、即、申し込みました。
まずは、もう今やほとんど知られていないかもしれないので‥
〈飯島貫実師の紹介〉
そして、貫実先生がいらっしゃるまでの間、鳩子に当たる飯島玄明先生(日蓮宗の長勝寺住職)が講師で教えにきてくださっていました。
クラスは、初心者用と、インストラクター用に別れていていました。私は、当時クラスをやっていたので、インストラクター用に参加しましたが、まわりは10歳以上年上の方ばかりでした。なんかすごい方、変わった方、面白い方などなど、個性的過ぎてすごいパワーでした。でも先輩のみなさん達にとてもよくしていただきました。
ある時、その中のお一人が、当時のひばりヶ丘のヨガの道場で「インストラクターを探しているけど面接に行きませんか?」とお誘いくださり、即、行くことにして、そこで、ヨガのインストラクターをすることになりました。
そこは断食療法で有名な牧内先生の道場で、お弟子さんが任されてやっているところでした。私は、なんとそこで、一回り年上の今は亡き主人に出会いました。
貫実先生の著書には、病気の手当て法なども書いてあり、主人はその本をボロボロになるまで読んでいました。なぜなら、胃癌でお医者さんに見放されたお父さんの治療を家族一丸となって、おこなって(他にも蓮見ワクチン、森下敬一博士のクリニック、牧内先生の助言などなども得て)1年弱で、九州旅行にいけるほどに回復させていたからです。
ちょうど、私が出会った時は、中学の美術の教員を辞めて、「(本人曰く)インドに神を探しに行った。でも外にはいなかった…」などという話をしていて、インドから帰ってきたばかりでした。
私は、本はピカピカでしたが、実際貫実先生の仏教ヨーガを学びに行っていて、夏には貫実先生がいらして、合宿があるよ…などという話しをしていました。なので、貫実先生が「縁結び」してくださったようなものでした。
この「ヨーガ革命③精神実践篇」には、若かりし頃の自分が実技のモデルで、載っています💦
ついでに、この頃としては斬新だったと思うのですが、貫実先生がヨーガのビデオを撮りたいとのことで、やはりモデルで参加させていただきました。当時ビデオのタイプが2種類あって、両方のタイプを作りました。
貫実先生は、ロサンゼルスに住んでいらしたので、情報が日本より10年早く、もう40年も前から、エイズの話をしていたり、講義では、時々英語訛りの日本語になったりでした。でもさすがに、「原始仏教」の話が多くて、ヨーガはとてもオーソドックスな基本的なものでした。(つづく…)
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