歌と猫
うちには二匹の猫がいる。どちらもオスだ。
一匹は大きな、7キロ強の茶虎と白の猫だ。大きくて白い胸の毛が堂々としていて綺麗だ。元気で人懐っこく、ほんとに立派だが、ちょっと肝が小さい。バイクや知らない人が来るとすぐ、「ぶお〜」といって家中を駆け回って警戒体制をとる。爪切りやブラッシングなど、嫌なお手入れには全力、本当に全身全霊で抵抗する(噛む)。仮に名前を「カモメくん」としておこう。
もう一匹は黒白のハチワレ猫だ。こっちは4キロとちょっとと、オスにしては小さめだ(というか、カモメくんが大きすぎて、相対的にずっと子猫のように見えてしまう)。こちらはものすごく甘えん坊で、なでなでやおやつ目当てで人の足元に絡みつき、人を転ばせようとする趣味がある。そして、来た時から内耳炎で耳から体液が出続け、耳が聞こえづらい。こちらは名前を「むつくん」としておこう。
今回は、カモメくんの話をする。
🐈(ここから次のマークまでパワハラ描写あるよ)
私は、大学院で歌をしている。歌、という言葉自体に歌唱する要素が含まれているから、「歌をする」という日本語はちょっと奇妙なんだけれど、私は今、業として歌をしている。
一年ほど前、その歌がどうしてもしんどくなった時期があった。
もともと自分を追い詰めやすい性格で、譜読みや練習で煮詰まりすぎることがあった。なるべくそうしないよう、譜読みの量を調整したり、計画立ててやっていたけれど、それは自分以外の要因で限界が来た。
その時師事していた先生が、まあまあなパワハラ体質だったのだ。
まあ、なんというか、芸術系というのはただでさえパワハラが通りやすい界隈だ。「伝統」を掲げている以上、その指導が伝統に基づいて厳しくなっているのか、その人の性質に基づいて厳しくなっているのか、判別が難しいからだ。
それはその人の周りでもそうで、共通の知人の評判はすこぶるよかった。「あんな素晴らしい人はいない」と。
実際は、自分が気に食わない状況になると学生に冷たい顔をみせ、自分の機嫌を取らせることを強要する人だった。そして、口癖は「なんでできないの!」だった。
そんな指導が続いたある日、あなたの早口が無理で、理解できなくて、進めません、と伝えたことがあった。
パワハラ体質の他人に、そんなことを言うとどうなるか? 簡単だ。「甘えるな、あならが言っていることは言い訳だ」と、両断した。その時から半年間、私の時間は止まり、自己否定を繰り返した。
私は前年教育系にいたので、先生の指導の歪みがどんどんひどくなっていくのに、耐えられなかった。自分の中の固い常識と、「素晴らしい」とされている自分の先生のギャップが大きすぎて、それは私の心と頭を乖離させた。
そんな状況で歌ができたかといえば、業なので、それはそれで頑張ろうとした。けれどどんなに詰めて考えて頑張っても、練習しても、その努力は先生の「努力」の定義に当てはまらないものなので、「なにもしていない」とただただ否定された。
🐈
カモメくんは、昔から遊ぶのが大好きだった。
年齢を経て少し落ち着いたものの、立っているだけで猫じゃらしを持ってきて、遊べ!(にゃー!)と催促してくる。
それがあまりにも可愛くて、カモメくんが来た当初、私は関東圏にいたのに、月一で、実家のある中部圏まで帰っていた。その1年間の交通費は、言うまでもない。ただ、そのカモメくんの可愛さにやられて、「この子の成長を見れないなんて!」と大学がしんどくなり、私は大学卒業後実家に帰った。今も実家で猫と暮らしている。
閑話休題、カモメくんは歌っている時にも容赦なく猫じゃらしを持ってきて私を見上げてくる。まるで、「それはいいからとりあえず遊ぼうぜ!」といわんばかりに。
私は「じゃあ遊ぶか!」と完全に気が逸れてしまい、歌は中断して、猫じゃらしを振りまくっていた。
カモメくんは、途中で疲れると休憩するくせに、人間が少しでもサボろうとしていると、容赦なく飛びかかってくる。よく人間のことがわかっている猫だ。それで人間が構って遊んでくれると知っているのだから。
一年前、どうしても歌がしんどくて、歌いながら動悸がひどくて休んだり、泣いたりしていた時も、カモメくんはマイペースにそうしていた。
そんな彼は、今3歳の坊ちゃんである。
私は少し歌に復活できた。
病院に通い、師事する先生を変えた。なるべく自分を追い詰めないように、私のことを見て、一緒に音楽について考えてくれる良い人だ。
今の彼は、前ほど積極的に遊ぼうと誘ってはこない。
垂れている紐にじゃれつきにくる時はあるが、自分では持ってこない。
たまに遊びたくなった時、おもちゃ箱のそばで静かにしゃこしゃこ*しているくらいである。
(*しゃこしゃこ…猫のお口の、毛の生えていない端の方で物を軽くはみ、しゃこしゃこ、と感触を楽しむように口を動かす。猫飼いの友達に聞いてもよくわからない、カモメくんの謎行動の一つ。匂いをつけているのかもしれないし、お口がかゆいのかもしれない。)
でも、私が一人で歌を歌っていると、必ず一度は見に来る。
前のように1時間、2時間ピアノの前にいることは無くなって、たった10分や20分の間でも、必ず来る。猫じゃらしは持たずに、静かに扉を開けて、ピアノの上に乗り、そして、楽譜を表示しているタブレットを倒す勢いですりすりしにくるのだ。
まるで、それは「だいじょうぶか?」といいにきているように、私には見える。
↓カモメくん写真集
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