可変式わたし、愛してる!
昔からなぜか人間になりたかった。
そうやって言うと「あなたは人間だ」と言われてしまうのだが、そうじゃないのだ。
小学2年生の時に、授業内の意見対立で1(私)vs30(担任と他の児童)になったことがあった。
納得できず、私がずっと「なんでー?なんでー?」と言っていると、黒板に向かっていた担任が振り向き、「なんでじゃないの! 答えがそうなんだからそうなの!」と叱責をした。
8歳の私は押し黙るしかなかった。
その頃から、ちょっと周囲から浮いていたのだろう。
最初から少し浮いていて、環境の変化についていくのが苦手だった。それが2年生から、ほとんど誰とも話せなくなってしまった。
ズレていた。
次第に、私は人間だが、人間のふりをしているヒト(人の形をしたなにか)という自認を自覚するようになった。
それでも年齢を経るごとに人間のふりが上手くなったのだ。
そして、いつか人間になれることを心の底から望んでいた。
でもここが私の大変なところで、人間になろう、と必死に真似しているのに、それに抗いたい私も同時に存在したのだ。
行進で右から足を出すはずが、左から足を踏み出したいと思うような。
(そんなこと別に自らしたいと思っていないが、運動神経がなさ過ぎて、左足と左腕を同時に振って、ナンバ走りみたいな行進をしたことはある)
上手く振る舞えた、上手く他人と付き合えたと思っても、その中の私は、慟哭していて、そんな、ニコニコ他人と話す人が、私なわけがないと咽び泣いている。
人間になりたいはずなのだ、私は。
みんなと同じように、ゲームが大好きで、恋をできて、ふわふわした可愛いものが好きで、水色が好きで、難しいことはわからないけど、おしゃべりが好きな。
でも、そんなの私が嫌なのだ。
わたしの形は、もっといびつだ。
ゲームは好きだけど飽き性だし、難しいことというより好きなことを深く追求するのが楽しくて仕方ないし、本を読むのも、知識をつけてそれが現実と重なる瞬間を楽しむことが好きだ。結婚や交際どころか、他人は興味があるが、同時に私の世界にいないでくれ、あなたの世界でいてくれと願っている。
単純にアレが好き、コレが好きとはいえないけど、私はわたしが好きなものが好きなのだ。わたしが嫌いなものが嫌いなのだ。
私は、私にしかなれない。
でも、人間への憧れを捨てることはできない。それも含めてわたしだ。
人間への憧れを持ちながら、人間になれないわたしを生きていく。わたしになりながら。
今年も、また。
2024年5月20日(月)
誕生日に寄せて
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