言葉を紡ぐのは誰のため?
最近、日記を始めた。
特に何かがあったと思ってなかった一日なのに、書き始めると意外にすらすらと文章が続く。
その時には曖昧だった感情が文章になると「あぁ僕はそう思ってたんだ」とか、「だからこう感じたのか」とか、自分のことなのに他人ゴトというか、「あぁ」って腑に落ちることが多々ある。
案外自分のことは知らないもんだし、わかんないもんだ。
感情は輪郭がないから曖昧に揺れる。揺れた感情は仕事に追われて薄れていくし、それでもいいのだろうけど、揺れた理由を知るのもいい。
自分の想いを自分で整理するという不思議な時間。この時間は何のためにあるの? これを誰が読むの? 読まれなくても良しとして紡ぐ言葉は明日の自分につながっていく。ほどかれた感情は穏やかな時間を運んでくる。
もし読む人がいるとしたら十年後の自分とか、大きくなった子どもがたまたま見つけて読んでくれるかなとか思いつつ、感じたことをセキララに紡ぐ。