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余白と怠惰に誰か線を引いてくれ

余白。何も記されないで白いまま残っている部分・・・らしい。
あまりにも物理的な解説。さすが辞書。

白い紙は隙間なくぎっしりと埋め尽くされている。
予定と感情ではちきれそうだ。

次のことをしなきゃ。あれもしなきゃ。これもしなきゃ。
なにかに強迫されるように動かされる。眠るのが惜しい。

表が華麗なほど裏は大変だったりする。
辛い日常があるから開放的な非日常が魅力的に映る。
辛さと喜びと。悲しさとうれしさと。切なさと幸福感と。
裏があるから表が成り立つように思えるなんて、書きながらなんて不幸なんだろうと苦笑いを浮かべる。

それでも苦しみもがいて超えた喜びは大きい。その幾つかの体験が脳裏に身体に刻みこまれてる。そしてそれらが強迫してくる。
まだやれるって。やらなきゃできないって。成れないって。
いいの?・・・それでって。

余白の美。
余白があることで浮かび上がる本質。余白自体も作品の一部。らしい。

確かにそれもある。深くうなずく。

言い訳をみつけたような背徳感と罪悪感。

でも、どこからが怠惰でどこからが余白なの。
わからなくて笑えてくる。

日常が便利になっていく。移動も会話も情報も掃除も。
それはとてもありがたく使っているけど。なんかどうもせわしない。

便利になってムダをなくして削って、本当なら沢山の時間が生まれているはずなのに見当たらない。いつの間にか時間泥棒と契約したのだろうか。

メールじゃなくて手紙だったら、返事が来るまでの間に他のことができるのに。昼寝したり、考え事したり、草を刈ったり、本を読んだり。

そんな時間にただ憧れながら便利なものを使い続けてる。
ないものへの憧れというより捨ててきたものへの憧れなのかな。

ムダなことが余白なのか。捨てたものを拾うことが余白なのか。どちらも違うように思うし合っているようにも思うし。

やっぱりよくわからないけど余白はあった方がいい気がする。
そして、それが怠惰なのか余白なのかを決めるのは誰なんだ。

将来の僕だったらとりあえず今はお手上げ。

だからこの文章を書いた時間は余白にしとくしかないな。

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