ただ待つことができたなら
待つ。何もしないのに、動詞。
そして待つことについて思うこと。それはとても難しい。
高速道路の渋滞だったり、アトラクションに並ぶ列だったり、終わりの見えるものは待てるけど、結末の見えないものだと待てない。
眠ることができたなら少しは上手に待てるんだろうけど、眠るのはあまり得意じゃないからなおさらだ。
これまで何度も失敗してるのに、それなのに今日も待てなかったりする。
「待てよ。時間が最良の薬って聞いたことあるだろう。」
さすがにこれまでの経験から第三者的な位置にいる僕の一部がちゃんと囁いてくれる。そんな彼は気まぐれで出てきてくれないこともある。
だけど彼が忠告してくれようとしてくれまいと結局は同じ。待つことができず、こんなことを言いたいはずじゃなかったのにとか思いながら、不安を苛立ちにのせて言葉を放つ。
夫婦喧嘩だけじゃなくて、これまでの友人関係、うまくいかなかった恋愛もそう。僕は待つことができなかった。
もしも待つことができたなら。あまりにもゆっくりと進む重い時間に耐えられるなら僕の日々と僕に関わる人の日々はもう少し穏やかなのかもしれない。
待つ。それはきっと意思を伴う動詞。