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たくさん本を読むことに意味はない?

開いてくれてありがとうございます。

本は読むだろうか。
どんな本でもいい。本を読むことはあるだろうか。

わたしは最近余裕が出来てきたので、なるべく週に一度は図書館へ行き2.3冊借りるようにしている。
それを通勤中電車の中で読むようにしている。

少し前に、よく本を読むと言う人に会った。
その人は「色々な本を読んだけど、結局読まなくてもいいなと思った」と言っていた。

実はその時、わたしは「読まなくてもいいな」という気持ちにちょっと共感していた。
どの本も同じようなことが書かれていたり、内容が似ていたり、そんなことを思った瞬間があったから。

内容のない本に出会ったことももちろんある。
同じことを延々と繰り返す本にも出会ったことがある。
結局何が言いたかったんだ…と言いたくなる本にも。

しかし最近、その認識が変わってきた。
もちろん、なんだこの本は…と思う本もあるが、それは相性なのかもしれない。
文章にも相性があると思う。

ではなぜ同じような内容の本をたくさん読むのか。

わたしは、自分の意識を劣化させないために本を読んでいる。

こうありたいと思う理想像の自分がある。
本の言葉に影響を受け、自分の生活に、人生に取り込む。
果たしてその意識はいつまで続くだろうか。

長年のスタイルを変えることは容易ではない。
たまたま読んだ本の、たった少しの言葉で自分のスタイルを変えようとすると、案外それはすぐに元に戻ってしまう。

その意識を持続させて、理想を習慣化して自分のものにするためにたくさん本を読むのだと思った。
そのために同じような本を読むことに意味があるのではないだろうか。

その考えになったとき、意味がないと思っていた自分をちょっとだけ恥じた。
何を知った気でいたのだろうか。
わたしはどの目線で本と対峙していたのだろうか。

おかげでたくさんの本を読むことがまた楽しくなった。
そうよね、そう言う考え方もあるよね、と受け入れる器も大きくなった。

自ら壁を作ることに意味はない。
これからもたくさん本を読み、気に入った本は何度も読み返したい。
そうして理想の自分になれたら嬉しい。

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