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『きみの色』鑑賞後

近くの映画館で、レイトショーを観てきました。散歩がてら歩いて帰りながらこの文章を書いています。
本映画を鑑賞した余韻のなか、ぼけーっと歩いている僕は、「信仰」について考えています。信仰とはいかにして生まれたものなのでしょうか。僕は、先の人類が「根拠」「よりどころ」を必要としたからだと考えます。例えば、空から雷が落ちてきて山火事が起こったとしましょう。僕たちは科学的知見から、上記の出来事の根拠を理解できます。ですが、先の人類はその根拠を理解することができませんでした。そのため、理解を超えた出来事の根拠として、神を設定したものと考えます。
思春期特有の葛藤とは、理解しがたいものであったと記憶しています。特にきみちゃんとるいくんが抱えるものに関しては、高校生の時分に照らすと、それはそれは難解だったことのように思えます。圧倒的味方であった親に由来する悩みは、自身の親を愛し、信頼する側面があるからこそのほどきづらいもつれを彼らの心にもたらしたのだと考えます。
信仰の話に戻りますが、私は信仰の需要として「根拠」と「よりどころ」を挙げました。逆境に際して「根拠」を見いだし、超越的存在の善き面に「よりどころ」を見出したのであれば、今作のきみちゃんとるいくんのよりどころは、間違いなく音楽とトッコであったと思います。主人公が光を見出して快復する作品はよくありますが、今作は主人公が光としての役割を示す作品です。トッコが神に祈る描写が散見されますが、同じようにきみちゃんとるいくんは音楽に祈り、トッコに縋った。
思春期における、ある種の「神」の必要性、光足りうる音楽の尊さを感じさせられた、素晴らしい作品でした。長々とごめんね。書こうと思えばもう少し書けますが、この辺で。引き際、だいじ。

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