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『コーヒーと恋愛』獅子文六【読後脳内】
冬の足音が聞こえてきますね。
喜ばしい。
冬は好きです。
クリスマスは女性と過ごせという慣例が腹立たしく、それでいて焦燥にかられる心持ちに、やるせなさを感じたりもしますが。
冬はコーヒーが美味しいですね。
人肌であったり料理であったり、火であったり布団であったり、コーヒーであったり。
あたたかいということの価値を思い出させられます。
僕は喫茶店が好きです。
煙草を吸いながら美味いコーヒーを飲んでページを繰る時間は幸福でしょう?
コーヒーが好きかと聞かれたら、迷いなく好きだと答えますが、コーヒー好きかと言われればなかなか首を縦に振りづらい。
僕の将来の夢は喫茶店のマスターであらせられますので、コーヒーに対する造詣は深くあられるべきですと、僕の中の何かが声をあげますが、現状そうではありません。
まあでもそうありたいという意思はあるわけです。
獅子文六、有名な方ではありますが、僕の不勉強で、どのような作品を書くかは知りませんでした。
とても森見登美彦イズムを感じました。
もちろん、順番的には森見登美彦に獅子文六イズムを感じた、ですが。
ヒップでポップな文体ももちろんですが、豊かな青春小説であるという点で、両者通づる魅力を持っている。
登場人物は主にオジサン(弱冠21歳の僕からすれば、ね?勉君もオジサンよ)です。
ですが、彼らの美しい青春に魅せられてしまいました。
彼らはみな、何かに熱心です。
コーヒーだったり、劇であったり、テレビであったり。
唯一、その全てに中途半端なのが、主人公モエ子であったと思います。
全てに違う種類の情熱を抱きながら、熱中度合いというと半端というか。
そんな彼女が、最後にそれぞれの道の過去に見送られながら、芝居を選ぶというラストです。
解説の言葉を借りるなら(解説の言葉も借り物ではありますが)「何かにこったり狂ったりしたこと」こそが、青春そのものであると感じます。
それが人であれば恋愛ですし、それがスポーツなりなんなりであれば部活と言えるかもしれませんが、どちらにせよ青春時代を回顧する場合にくっついてくるものでしょう。
人にこっても、成就するかもわかりませんし、スポーツにこっても、それで食べていけるのはひと握りです。
高校時代の大変こっていた人とは付き合えていません。
中高でバレーボール、大学前半でバンドをしていましたが、僕はプロ選手でもなければプロアーティストでもありません。
結果なんてどうでもいいのです、あの時間が青春だったことに、疑いの余地などありません。
モエ子は自分のコーヒーの腕前に男がよりつくことを嘆きましたが、確かに「うまくできること」と「情熱を注げること」は違います。
ですが、彼女が可否会で過ごした時間を傍目に見ていた僕からすれば、あの時間はきらきらしていました。
同じものを愛する人、同じ場所を見ている人、何かにこったり狂ったりすること。
忘れずにいたい、大事なこと。
きらきらした時間のつくりかた。
ステキな作品でした。