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『おとうと』幸田文【読後脳内】

最近は家族に関する物語を読むことが多いように感じます。
特に選んで読んでいるわけではないのだけれど。

この本は、先日の四天王寺古本まつりにて購入した本です。
幸田文に関しての知識はほぼありません。
かの幸田露伴の娘であるくらい。
ですが、高校時代の好きだった先生による現代文の授業で取り扱われた記憶があり、何となく手に取りました。
よく唾を飛ばすおじいちゃんでした。善いひとでした。死んでいませんよ、多分。

高校の学びがきっかけになりましたが、読む過程では大学の学びが想起されました。
僕の学科の授業ではありませんが、個人的な興味で、文学史について学んでいます。
そこで主題として扱われているのが「私小説」というジャンルです。
簡単に説明すると、創作に自分の経験や心持ちを色濃く反映させたジャンルです。
自伝小説とは違います。登場人物はあくまで架空の人物であり、物語も創作の体裁を保っています。
ですが、登場人物が作者の口をもって語り出すのです。このシームレスな創作と経験の往復、もしくは混合というのが面白い。


脱線しましょう、思考とは右往左往するものです。

なぜ勉強するの?

多くの人が一度は疑問に思い、その解答を示されないまま大人になる。
ある種の普遍的な問いであると言えるでしょう。
僕の中でのベーシックな解答は「努力の練習」です。言わんとしていることはわかるでしょう。
では、別解を。
「趣味を深く楽しむためのダウンロードコンテンツ」です。
僕は読書が好きです。
例えば、村上春樹が好きです。
ですが、彼の小説に出てくる音楽的な話は理解することが出来ません。
勉強していないからです。
僕は歴史小説を面白いと思います。
日本史の知識がインストールされているからです。
他の趣味にも、同じようなことであったり、また違った視点を提供したり、勉強にできることはたくさんあります。
本作も、私小説の考え方を知っていたから、より面白く読めたのです。
大学までの勉強が実務的に役立つことはきっと少ない(特に文系)ですが、人生が深く面白いものになるのは同様に確からしい。
数学が大嫌いなのにこんな言い回しをしてしまった。

脱線おわり!


内容について軽く。
やはり時間の洗礼を受けたものは信用ができる。そう思います。
僕はあまり昔の作家は読みません。
時代の違いに基づく価値観の違いから、スっと入ってこないからというのがひとつの理由です。
ただ、時間の洗礼を受けてなお褪せない作品は、普遍的な何かがあるのだろうとも思います。
一度読んでみてください。昔のものにしてはかなり読みやすいです。

姉弟について、僕は語る材料を持ちません。
互いを理解している、そう思えること。
その尊さやその心地良さ、それについてはなんとか理解しているつもり。
家族に関する小説ですが、突き詰めれば理解者の物語です。

理解していること。理解してもらうこと。理解する努力をすること。理解し合うこと。

時を超えて、普遍的な何かを伝えてくれる。
そんな名作です。

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