2023/02/23(Thu) わたしはパパゲーノ
生きるのはしんどい。
時々猛烈に、向こう側へ行ってしまいたくなる。
きっかけは、なんてことない、誰にでもよくあることだ。
職場の人間関係が面倒くさい、とか。
人の世話に時間を取られてちっとも休めない、とか。
友達と話してて、あの言い方はまずかったかな、ってあとから気付いたときとか。
昔の失敗を思い出して止まらないときとか。
ああ、生きるの辞めちゃいたいな、と思ってしまう。
それが、今日だ。
少し前に、忙しすぎて疲れていて、死んでしまいたい、と主治医に漏らしたことがある。
お父さんが悲しむよ、と嗜められた。
死にたい気持ちは、けっこう、しぼんだ。
私の父は、昨年亡くなった。
悪性リンパ腫を患い、治る見込みがなくなって転院した病院で、運悪く新型コロナのクラスターが発生し、院内感染して、亡くなった。
(亡くなる直接の原因になったかは定かではないと医師から説明を受けました。病院を恨む気持ちはありません。それまで父のために尽くしてくれたと伝わっていましたから)
市の定めた感染対策で私たち家族は死に顔も見られず、父はお骨になって帰ってきた。
その父が、母に宛てた手紙が出てきた。
母は昨年の始めに消化管穿孔を患い、救急車の中で意識消失して、一度は心臓も止まり、集中治療室で緩和ケアに移行するほどの危篤状態に陥った。
救急隊や医療スタッフの皆さんのおかげで母は奇跡的に命を取り留め、4ヶ月の入院の後に要支援状態で帰ってきたのだが、
その間、携帯電話を持たない母と私たち父子は文通でやり取りしており、その時、母に宛てて書こうとした父の手紙の下書きを今日、見付けた。
奇しくも今日は父の誕生日だった。
久しぶりに父の分もケーキを買い、記念日というのも変だけど、お祝いしようと思っていたら、
居間の父の座っていた席の座布団の下から、その下書きがあるのを見付けた。
久しぶりの父の字だった。
今もこうして書きながら、ポロポロ泣いている。
父の元へ行ってしまいたいと思う。
でもまだ行けないとも思う。
私がいなくなったら誰が母の世話をするのか。
大好きなゲームの続きが気になる。
書きたい小説もある。
仕事で疲れて帰ってきた日の、お風呂上がりのノンアルコールビールの美味しさといったら。
コンビニの新作スイーツの甘美さといったら。
EテレのハートネットTVに、「わたしはパパゲーノ」というコーナーがあるのをご存知だろうか。
わたしはパパゲーノ↓
パパゲーノとは、オペラ「魔笛」に出てくる登場人物のことで、転じて、死にたい、でも生きている人たちのことを指す。
この「わたしはパパゲーノ」さんたちの声を聞いて、私は何とか踏みとどまっている。
踏みとどまるのだって、ほんの少しの理由だ。
どうせ死んでしまうのなら、毎月コツコツと貯めた(ごく少額の)貯金を使い果たしてからでもいいな、とか。
死んだとき周りが迷惑しないように、断舎離しておこうかな、とか。
この本読み終わりたいな、とか。
頭の中の小説を形にしてからでもいいな、とか。
死にたい理由が些細なら、踏みとどまるのだって些細なことだ。
だけどそれが重要なんだと思う。
いつか必ず誰にでも訪れる死の瞬間に、まあまあの人生だったかな、と思えるようでいられるのが理想。
それはきっと難しいけれど。