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人生を全うすること


移植、なんて自分には無縁の世界だと思っていた。
感染症にかかり、一夜にして腎不全になってしまった。こんなことが起こるなんて思ってもいなかった。

5ヶ月前感染症だとわかったとき、生命がかなり危険な状態だった。「とにかく脳と心臓です。腎臓は腎代替療法があります!」と力強くドクターが言ったそう。

あらゆる医療機器に繋がれたわたしはなかなか脳のCTが撮れない、これでもかとアドレナリンを打ってもなかなか血圧があがらない。そんな時を経てわたしは今ここに生きている。

脳のCT画像を見た時、脳は大丈夫だ!!!と家族は涙したそう。脳が守られた事は不幸中の幸いだった。そんな状態だったので腎不全になったことは致し方ないのかもしれない。腎臓は代わりがある。

でもいざ、ここまで来ると欲が出てしまう。
あー腎臓も無事だったらどんなに良かったことか、、と。
そんなことを言ってても仕方がない。のは分かっているけど欲しくなる。

昨日、透析の病院に母が車で送ってくれた。
車中で、母が「あー早く、さーちゃん(わたし)に腎臓をあげたい」そう言った。腎移植が成功すれば、透析しなくてよくなる。

「ドナーの術後って痛いみたいだよ。ほんとうに大丈夫?」と聞いた。
「そんな痛いなんてどーってことないよ!!」と母が。

なんと強いのか。

そうだ。思えば、息子の付き添い入院中、治療を代わってあげることはできない。わたしができることは祈ること、抱きしめることくらいだった。そのことを思い出した。きっと母もわたしの危篤中はそんな想いだったのだと思う。

だから多分母はいま、自分ができることがある(ドナーになること)という喜びの中にいるのではないかと思う。
出産に似ているかも?痛さを乗り越えた先に変え難い幸せがある。と思ってくれているのかもしれない。

わたしは母から腎臓をもらうに対して葛藤を感じていた。
でも思えば、わたしの体全部、母からもらったものではないか。母が陣痛という痛さを乗り越えていただいたものではないか!!感染症になる前からその自覚を持てよ。自分!と思った。

親にももらったこの命!わたしはもう一度いだたく(予定)この腎臓!
最後の最後の最後までよくやった!幸せだった!楽しかった!!と言える人生を全うするぞ!
そう心に誓った。

では、そう言える人生とは?? ゆっくり探していきたい。




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