兄弟格差◆母は毒親だったのかな
母は兄のことは悪く言いません。
成人してからの話ですが、督促まで進んだ借金を全額肩代わりしても、兄が冤罪で警察に事情徴収受けた話も、母は私に話す時ですら兄を擁護します。
私が生活費を多めに出していた時、「私が払ったお金で、兄の借金を返しているみたいじゃないか、多めに出した生活費を返してほしい」と問うと「どうしたん。急に賢くなってwwww」と言われ、お金は返ってきませんでした。
その後、母は「生活費を入れてない娘」という事を親戚に言ったようで、
親戚から「生活費入れてないんやろ」と問われ「入れてるし」と憤った事を鮮明に覚えています。
十年くらい前に何度かあった給付金、余裕があったし、母が喜ぶと思って全額母に貢ぎました。
コロナ渦の給付金も、自ら貢いでるお仲間さんも結構いるんだろうなと思ってしまいます…。
・
幼いころから、兄は優遇されていました。
兄が両腕を骨折して、日常生活に介助が必要になった時、「仕方ないね」くらいで、母が兄に悪態をつきながら介助するなんて姿はついぞありませんでした。
病気をしたときの私の時とは全然違うけど「兄は両腕の骨折だから」と気持ちをやり過ごしました。
母にプレゼントしても、例えそれが小学生のなけなしのお小遣いで買ったものであっても、喜んでくれたことはなく、私が傷つくような形でどこかに放置されていました。
ちゃんと使ってくれたのは、成人してからあげたブランド物のバッグくらいでした。
でも、兄から貰ったものは100均のピーラーですらお高いものみたいだと言って、壊れるまで嬉しそうに使っていました。
兄が太りだしても、私の時のように「デブやなぁ」「おなか妊婦みたいやで」「おおきなパンツ」「貰い手なくなるで」などと言って貶して傷けるようなところを見たことがありません。
「幼い兄とは一緒にお風呂に入っていた、4歳で足し算ができて湯船につかって勉強してた、兄は賢い子だった。」という話を聞いて、幼心に猛烈に嫉妬し、羨ましくて、夜中に布団の中で泣くこともありました。
(そういう時必ず、(私)が生まれてから忙しくてできなかった、と言われます。私が勝手に傷ついて嫉妬させるためだけの会話でした。)
兄が学生のころ、万引きして警察に捕まって父に竹刀でたたかれ怒られている時は「可哀そう、あなたが行ったらやめてくれるから」と泣いて頼んできました。
兄が大好きで大好きで仕方なかったのでしょう。
・
小学校低学年の時「なぜ兄ばかり優遇するのか」と泣いて訴えたことがありました。
母は向き合って真摯に聞いてくれていたと思ったのですが。
でも、「そんなこと思ってたん」というだけで、「ごめんね」とも「今後は気を付けるね」とも言われず、その後、何も変わりませんでした。
母のこういう態度は昔からでした。
うわべだけ取り繕っていればこの娘はどうとでもなるとでも思っていたのでしょうか。
母は私のことを心底バカにしてるんだろうなという事だけはひしひしと感じていました、