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はじめての中公新書・新書の話

中公新書編集部のアカウントが「自分が最初に読んだ中公新書は何だっただろうか」とポストしたのに端を発して、皆が初めての中公新書を思い返していた。そんな機会なので私も記憶を掘り起こしてみることにした。

確か、板坂燿子『平家物語』であったと思う。NHK大河ドラマ『平清盛』を見て、これが初めてしっかり見通した大河だったので、大いにハマって、もっと知りたいと手を伸ばした。
2012年なので「記憶を掘り起こす」というほど昔でもないですな。

新書というもの自体、初めて手にしたのは、前年の2011年だったと記憶している。幻冬舎新書の萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』だった。
その年の初めごろ丸谷才一『完本 日本語のために』が新潮文庫から出て、なんとなく買って読んでみたら、見事に旧かなに魅了された。そして、自分でも使いこなしてみたくて、前述の新書に手を伸ばした。

それまで新書って、なんとなく自分と関係ない世界のものというか、オジサンが読むものというイメージがあった。養老孟司『バカの壁』とかのイメージ。通勤電車で読んでそうな。新聞に近しい感じ。
実際そういう新書もあるだろうけれども、しかし、知的探求の走り出しを助けるような、十代や二十代こそモリモリ読むべきな入門書がたくさんあるのを知った。

以降、大学で外国語を勉強するようになってからは千野栄一『外国語上達法』を、フランス語をやるにあたってかの国についての知識を深めようと柴田三千雄『フランス史10講』を、美術に興味を持ったときには高階秀爾『近代絵画史』をと、新書を並走につけて探索してきた。

新書は良き相棒である。
いまでも、新しい知識を得たいときには欠かせない。昨年の大河『光る君へ』を見たときにも、笠原英彦『歴代天皇総覧』や関幸彦『刀伊の入寇』など、多くの並走をつけた。

書いてみて、意外と新書って思い入れあるなと思った。好きなんだな、新書。
年々足が重くなっていってるけど、これからも頼んます。


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