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【収監?】高校という名の監獄!

滑り止めの私立高校に入学手続きを済ませ、
あとは入学するだけの時になって一つの提案をされる。

その私立高校には大学に進学するための特別なクラスがあって、
試験をパスしなければそのクラスには入れないらしい。
要するに、私立高校的には何かの拍子に公立高校を落ちた学力がある子を集めて大学に進学させてブランド力をあげようみたいなことである。

その試験を両親から強く薦められる。敗者復活戦ということだろう。

ここで大学でも進学させときゃ“長男”という商品が起こした
不合格という不祥事もチャラになるんじゃないか?
という魂胆が丸見え。
しかも試験にパスしないと入れないクラスということでそれさえ受かれば
とりあえず風当たりは弱くなるはず・・・と思ったのだろう。

私は正直うっとおしかったし、
この地域の私立高校の中でもランクが下の高校だったので
どのクラスもさほど変わらんだろと思っていた。
ゴリ押しもゴリ押しで試験を受けざるを得なかった。

もう受けること前提で話をするもんだから断る隙もない。
レベルの低い高校とは言え、何かの拍子に私が受けた公立高校より
高いレベルの高校を受けた生徒らも受けるのだから
どうせ受からんだろと思っていた。

結果は見事合格・・・。
とかっこ良く言うが本当のところは、定員より応募が少なく試験の意味はなかったそうだ。
応募して来たやつはとりあえず合格みたいな。

だけど他のクラスの連中からしてみれば「選ばれしガリ勉たち」であった。
受かったとされる私たち側から見れば
「高校3年間を勉強だけに捧げると言い放った稀有な人間たち」である。

私たちは他のクラスとは隔離された。

部活禁止、アルバイト禁止、朝7:00からの補習、
学校が終わっても帰れず夜7:30までの補習or強制自学。
土日祝ももちろん補習or強制自学or模試、

一年のうち休みは元旦の1日だけ。
その元旦の日も教室は解放されている。
解せないのはその元旦が休みとは言われず、「任意」の日だったことだ。
世間的な目で見て、元旦ぐらいは休みと言っておかないと
何かしらマズイとのことで休みという言葉は使ったが、
担任の「大学受験するやつは正月なんかない」の一言で
結果的にみんな元旦にも強制自学を強いられたことである。

結果3年間学校に通わない日はなかった。

その無茶苦茶な担任は、数々の名言や日常の癖を私に残してくれた。

・「偏差値50以下に人権はない。」
・「5分前行動と言われたら5分前行動の5分前行動が原則。」
・「私は教師ではない、ただ大学に受からせるためにいる。」
・「このクラスはすべて連帯責任。」

他にもたくさんあるが、5分前行動、時間の癖に関しては
大人になった今ではほんとに重宝している。
私は仕事をするようになってから今まで
1度か2度しか遅刻をしたことがない。
その遅刻もインフルエンザと交通事故ぐらいだ。

その担任は悪く言えば体罰を基本としていた。
授業前に黒板に問題と解答を書いておかなければ平手打ち、
問題が解けなければ平手打ち、
何もなくても気に入らなければ平手打ち、
椅子に座っていると蹴り、
集会で喋っていると後ろから蹴り、
集会で校歌を全力で歌っていなければ腹をグーで殴る。

そういう担任だった。

家庭内での動きも制限された。
テレビ、ゲーム等禁止、携帯禁止
携帯に関しては校則にもあるのだが、
学校にさえ持ってこなければ深追いはしないというものだったが
私のクラスは契約自体が禁止されていた。

加えて徹底されていたのが「他のクラスとの交友禁止」
自分らのクラス以外の人間と話していると殴られるのだ。
喋っている相手が男でも女でも関係なく。

例えば、全校集会などの際、私たちは5分前行動の5分前行動により
誰もいない体育館に現地入りし、
自分らの整列するであろう場所に並んで腰をおろし、
プリントや参考書を見ていなければならない。

その後続々と他のクラスや学年が入ってくるのだが、私たちの姿を見て驚愕するのである。
不思議に思うのは当然で、彼らは私に
「なんでここで勉強してんの?」と聞いてくる。
話しかけられたもんだから私は「やれって言われてる。」
と答え終わるか終わらないところで後ろから背中を蹴られた。

どこからともなく現れた担任から飛び蹴りをかまされた。
私はしまった!と思ったがそういうことも慣れているので、
やっちゃったで済むのだが、
話しかけた方はありえない状況にすごい顔をしていた。
大人が後ろから飛び蹴りをしてくる状況は街中だったら通報事案だろう。

しかし、納得いかないのは私たちのクラス以外の全校生徒が
私たちをなぜか迫害していたことだ。

私たちが校内を通ったり、移動教室、
果ては登校や下校のバスの車内でブーイングが起こるのだ。
何が気に食わないのか知らないが、からかいの言葉や心ない罵声、
嘲笑、女子は何もせず座っている私たちを見ると本当に気持ち悪そうな顔をしていた。
私たちのことをよく知らないはずの他学年でさえその調子であった。

いつでもプリントや参考書を片手にうろついている私たちが気に入らなかったのだろうか。
ただそんなことだけで人間性を否定されていた。
言い返すこともできない。他の人間との交友は禁止だ。
「言い返す」という行為には“蹴り”という大きな代償が伴う。
自分だけならまだいい。それは自分のクラス全体に及ぶ。

黙って俯いているしかない。


本当にありえない話なんだけど、嘘みたいな話なんだけど、
担任はいつでもどこでも私たちを見ていた。

こんな事件があった。
どうやっていたかは知らないが、
私が私の家の近くのバス停で学習塾で一緒だった子と喋っていたことを
次の朝咎められ、殴られた。
バスを待っているほんの5分か10分、
いや10分も立たないぐらいの時間。

そのバス停は高校からもかなり離れているし、
どうしてピンポイントでその日、その場所、その時間にそこにいたのか。

他の子にもそういう事件がある。
例えば、学校があったところも田舎だけど、もっと田舎に住んでいる子が夜に友達の家に行ったことがこれまた翌朝にはバレていて殴られた。
なぜそんな地区にいたのか、なぜ友達の家までバレているのか。

他校の子と帰り道を同じにするため、
バスを途中下車し違う路線のバスに乗った子も翌朝に殴られた。
出来事はほぼバスの車内である。いつ見たのか。

そして一番の極め付けは、
夏休み中の補習の際1日だけ休んだ子がいた。
Yくんである。
しかもそれは親から「法事のために休ませます。」という
電話連絡までする念の入れよう。親公認である。
「法事」というのは嘘だった。

休んだ次の日、Yくんは殴られた。ついでに私たちも殴られた。
法事が嘘だったことがすでにバレているのだ。
彼は、いや彼とその家族は「法事」と嘘をつき、野球の試合を観戦しに行っていたのだ。

試合中にたまたま、応援しているYくんの姿が一度だけ、チラッと、
大型ビジョンに映ったのだ。担任は見逃さなかった。

「Y、昨日何してた?」
「あ、法事でした。」
平手打ち。
「お前、野球観に行ったろ?大型ビジョンにお前写っとったやないか!」
平手打ち。

ついでにクラス全員立たされ平手打ち。


なぜ、その日のその試合のその一瞬を観ることができるのか、
長い試合のほんの一瞬、じっと見てたとしても気がつかないぐらいの一瞬。
私たちは戦々恐々とした。
というわけで、いつでもどこでもプリントや参考書は手放せなかった。

殴られることを恐れ参考書やプリントを持参している私たちを
「ガリ勉」と呼び、普通の学生のように調子に乗りたい私たちを
「調子に乗っている」と蔑み、私たちをよく知らないくせに
「キモい」と言い白い目で見る全校生徒。

この経験から、私が人から嫌われることを何とも思わず、
自ら公言しても意に介しない精神力を身につけた。

たった何人かに否定されても、罵詈雑言の類をぶつけられても、
嫌な仕打ちを受けたとて、なんて事ない。
何百人の同世代の人間から浴びる冷たい目線、心無い言葉よりずっとずっと
優しいで態度である。

バイト先などで嫌われたって、何人か、多くて十何人の話。
そんなもの声が小さくて聞こえない。

一般の人が経験するであろう高校生活はまったく実現しなかったけど、
一般の高校生活では身に付けることができない精神力を
身につけることができた。

そして、高校生活一番の収穫と言えば、
笑いのスキルをかなりつけることができた。

初めて相方ができた。隣町に住むRくんである。
なんとなくしゃべっていると彼がつっこんでっくれるものだから、
その気になった。

テレビ禁止だったが、爆笑オンエアバトルだけはこっそり見ていた。
中学校では見る専門だったが、高校になると自分でもネタをつくってみたくなった。机に向かわなければならない時間だけはやたらある。
他のみんなも各々机の上でできる勉強以外のことをして過ごしていた。
これもいつか書きたいと思うが、私の後ろの席の子は、
中学校からバンドをやっている子だったから楽譜を書いたり、
歌詞を書いていた。

もちろん、小テストや数学の黒板やその他諸々の準備を
すべて終えた後の話である。

誰に見せるでもなく、どこかの舞台に立つなどの予定はまったくないが、
強制自学中にこっそりとネタを書き、帰りのバスで喋りながら練習した。
ただ、白熱してきてお互い声が大きくなる。
バスには他校の生徒も乗っているのだが、
私たちの会話を聞いて笑っているのだ。

私たちはその状況を目の当たりにして、イケるんじゃないか?なんて思って
もっとブラッシュアップさせるために危険な行動に出た。

公園で練習するということ。

これは危険な賭けだった。
担任にいつどこで見られているかわからない。
その目をかいくぐり、しっかり練習もしなければならなかった。

担任の家は噂では高校の近くだった。
学校の敷地内に車がずっと置きっ放しになっているから、
おそらく徒歩圏内だろうという推理の元、
その車が移動している時間をメモって簡単なシフト表を作る。
この日はある、この日はない、この時間に車で出て行く、この時間に戻ってくるなどなど。
なんとなくスケジュールを把握し、次は練習場所である。

地元ではこちらに利がある。国道に面していない道や車で入れない道、その地域でも多くの人が知らない公園、そういう場所を見つけようとした。

さすが地元だけあって簡単に見つかった。

そこで漫才の練習を始めた。

しかし担任のスケジュールを把握したとは言えすべてではないし、
もちろん授業に関することは完璧にこなさないといけないし
毎日行われる小テストの勉強も、中間期末実力テストも、
模試に備えての勉強も疎かにはできない。
担任の言動や行動を読み、少しでも怪しいそぶりがあれば練習を
控えなければならなかったので学校終わりの練習は困難を極めた。

そして高三になりちょっとした奇跡が起こる。

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