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【短編小説】不老不死

オトくんは物知りだった。
単に博識、というわけではなく得た知識を自分なりに噛み砕き、消化し自らの血肉としていた。

そんなオトくんにあることを聞いた。
「ねぇ、オトくん。不老不死になりたいって思う?」
オトくんはしゃがんで地面に何か描いていた。
そのままの体勢で、こんな突飛な質問に動じることもなく返事を返した。

「不老不死かぁ。時と場合によるかな」
「時と場合?」
「どの時点で不老不死になるかってこと」
僕がわからないまま黙っていると、オトくんは立ち上がり
砂のついた手をズボンで払った。

「例えば、今フミは不老不死ではないわけだ。で、もし今ここに“不老不死になれる薬”があるとする。フミはその薬飲む?」

「飲む、かな。だってそれを飲むと死なないんでしょ?だったら飲む」
僕は一応考えながら答えた。飲むか飲まないかではなく、どう答えたら
オトくんのおもしろい話が聞けるのかを考えた。

「じゃあさ、フミは今の年齢のままずっとずっと永遠に過ごすつもり?」
「え?大人にはなるよ」
「ならないよ。不老不死っていうのは老いず、死なずってことでしょ?
フミは今の子供のまま永遠に生き続けるの?」

僕はぐうの音もでなかった。
「じゃあ大人になってから、もっと歳をとってから飲む」

「フミ、歳をとってからできることは意外と限られているんだよ。
大人はなんでも好き勝手にやっているように見えるけど、実はそうじゃないんだ。たくさんある可能性の中からまずは絶対に実現不可能だと思うことから排除する、その後に損得があって、世間体とか社会通念みたいなものも考慮して、そうやって残った選択肢の中から選んでいるだけなんだ」

オトくんは今度は踵で地面を抉り始めた。
後ろ歩きで曲線を描いている。

「じゃあオトくんは不老不死の薬は飲まないの?」
「そんなことないよ。時と場合によっては飲む」
「時と場合ってどういうこと?」

「あのね不老不死のメリットは歳をとらないこと、死なないことではないんだ。それはあくまでも副産物でしかないんだ。不老不死の最大のメリットはふたつ。まずは絶対的に尽きることのない時間。もうひとつは」

今まで背中を向けていたオトくんが急に振り返った。
「なんだと思う?」
僕が首を傾げると、オトくんは地面を指さした。

「無限の選択肢。並行世界への横断」

こればっかりは僕はまったく理解できなかった。
一つ目の絶対的に尽きることのない時間はなんとなくわかる。
死なずに永遠に生きるということは時間は無限にあるということだ。

二つ目は驚くほど理解ができない。
「どういうこと?」

「フミはさっき駄菓子屋でアイスキャンディーを買ったね。
アイスキャンディーとスナックと迷ってたけど、結局アイスキャンディーを買った」

「そうだよ。外が暑かったからスナックよりアイスキャンディーにしたんだ。それが不老不死とどう関係があるの?」

「フミはアイスキャンディーとスナックのどちらかが買えた。迷ってアイスキャンディーを選んだ。そして君はそのアイスキャンディーを食べ切る前にドロドロに溶かしてしまった。この陽射しだからしかたないよね。
さっきまではそのことで君は機嫌が悪かった」

そう。僕は自分が選んだアイスキャンディーが夏の陽射しに負け、みるみるうちに液状化し、指に滴り落ちて、形が崩れその大半が地面に落ちてしまったことが納得いかず、オトくんのせいではないのになんとなく不遜な態度で数十分を過ごしていた。

「ごめん。オトくんのせいじゃないのに」

「そのことを責めているんじゃないよ。スナックを選んでいたらって思わなかった?アイスキャンディーは残念だったけど、もし駄菓子屋でスナックを選んでいたとしたら?君の機嫌は良いままだったかな?」

僕はオトくんが何を言いたいかわからなかった。
責めてはいないと言ったが、機嫌を損ね拗ねていた僕をなじっているように聞こえる。

「だから、ごめんって」
「フミ、不老不死のもう一つのメリットはね、無限の選択肢。君はアイスキャンディーかスナックかどちらかを選ばなければならない時、アイスキャンディーを選んだ。その結果残念な結果になった。
不老不死になるってことはね、“スナックも選ぶことができる”ってことなんだよ」

「どういうこと?僕はアイスキャンディーとスナックの両方を買うお金はなかったよ」

「もし、フミが駄菓子屋でアイスキャンディーを買う前に、“不老不死薬”を飲んでいたとしたらどう思う?君は今の歳のままずっとずっとこの世にいるわけだ。何度でも“今”が来るんだ。何度でも駄菓子屋の前に立つことができる」

僕が天を仰いで必死に考えている様をオトくんは黙って見ていた。
その視線はなにかの得体の知れない危うさや綱渡りのような絶妙なバランスを感じた。僕はその視線が少し怖かった。怖かったから天を仰いだまま、首を戻すことができなかった。

「いいかい?選ばれなかった方の現実は消え失せたわけじゃないんだよ。
僕たちの認識できないところでちゃんと別の世界として存在しているんだ」

そういうと、オトくんは地面に描いた絵を指さしてゆっくりと宙をなぞり始めた。

「ここが分岐点だとする。見てごらん。もし右を選んだとしても左の線もずっとずっと伸びていく。そしてまた分岐点を迎える。
不老不死になるってことはね、本来ならば選択した方の現実しか認識できないけどすべての選択の過程と結果を知り得る、経験することなんだ。
だからもし駄菓子屋の前で君が“不老不死薬”を飲んだとしたら、
さっきのようにドロドロに溶けてなくなるアイスキャンディーも経験するし、スナックを思う存分に味わうこともできた」

「難しすぎるよ」僕は正直に白状した。
おもしろい話が聞けるんじゃないか、という浅はかな気持ちで話題提起したことを後悔した。

「要はね、不老不死になると永遠の時間が手に入るんだ。だから選択の必要がないんだ。どちらか迷うということは、選ばれなかった現実は認識できないとわかっているから簡単に選べない。選んだ方が悲しい結果になったら嫌だからね。老いることなくずっと同じ年齢のまま同じ状態を繰り返すならば
アイスキャンディーを選んで残念な結果だったとしても、また何度でもスナックを選び直すことができる」

「でもそれって普通のことなんじゃない?“不老不死薬”を飲まずとも、
またお小遣いをもらって今度はスナックを買えばいい。普通のことだよ。
永遠の時間がなくてもできることだよ」

「そうだね。アイスキャンディーとスナックの場合はね。それ以外の場合はどうだろう」

「それ以外?」

「命、とか」

いのち。

「いのちの選択」

オトくんが発声する“いのち”という言葉は陽射しのように暑く焦げるような音だった。命を燃やす、という言葉があるがその比ではないほど、生きとし生けるものすべてを焼き焦がすような音だった。

そうだ。
僕がオトくんを怖いと思うのは、オトくんの行動のひとつひとつに焼かれて焦がされて真っ黒な灰になってボロボロと崩れていきそうだからだ。
オトくんは自分の命を燃やすどころか、他人の命まで燃やし尽くしてしまいそうな危うさを持っているのだ。

オトくんはまた地面にしゃがみこみ絵の続きを描き出した。

オトくんが地面に描いていたのは大きな木だった。
大きな太い幹は踵で地面を抉って力強く描かれ、
その幹から伸びた枝はだんだん細くなり、末端の方は繊細に描かれていた。

まるでその木は僕たちの選択を彷彿とさせるものだった。

深く抉られた太い幹は抗いようのない生物としての根幹、
自らでは選択できない神の采配。
気がつくとこの世に存在しており、生物、人類の身体を成している。
そこから幾重にも伸びた枝は人間の愚かな選択を思わせた。

もし不老不死の人間がいたら、今何歳でどこでこの世界を見ているのだろう。僕はしゃがんだオトくんの背中を見つめた。
肩甲骨と背骨がくっきりとわかる薄いTシャツ、ところどころ汗が滲み、
おそらくはきちんと栄養が行き渡っていないだろうことが同じ子供の目にも理解できた。

「フミだけに、特別に教えてあげる」
オトくんはしゃがんだまま、背を向けたままつぶやいた。
痩せこけた背中から伸びる首に一筋の汗が光る。

「僕はね、不老不死なんだ。もうずっとずっと前から生きている。
どんな選択をしても人間はいつも愚かだったよ。どの選択をしても
どの分岐を通っても、どの枝を歩いても、結局は殺し合いと戦争。
だからね、僕は決めたんだ。もうこの世界はいらないって。
ぜんぶ、やきつくして」

僕はその首にゆっくり両手を伸ばした。
細い首を両手で覆う。そして勢いよく力を入れた。

「アイスキャンディー残念だったね」

僕は、すべてを焼き尽くす炎を吹き消すほどの大きな息を吐いた。

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