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【追放】また居場所をなくした話。

さて、私は失踪を計画しものの見事に失敗、大学を辞めることになり
実家への強制送還されるのだが、
前回の記事【記憶】で書いた通り、この辺の記憶が曖昧でちょっと
期間や時期がズレていると思う。

私の記憶では【実家への強制送還】という処置が
失踪事件留年確定事件、そしてこの事件が
トドメとなったと認識している。

私は大学在学中、長期休暇になると足繁く帰省し、
学習塾へ頻繁に出入りするようになっていた。

その時はMはもちろん、他の人間との国交が減り、
ストレスが溜まり、学習塾へ行き雑用などを進んでやっていた。

そこである女の子に出会った。
びっくりするぐらい頭がいい子だった。
そして箱入り娘みたいな子だった。
ほんとにうっすら箱が見えてくるぐらいだった。
なぜだか覚えていないのだが、その子とデートをすることになった。
たぶん、真面目な子がちょっと変わった生き物をペットみたいに
飼いたいような感覚に陥っていたのかもしれない。
結果付き合うことになった。


私がこの事件を書くにあたって
作為的に書いていないことがある。
もしかしたらお気付きの方や、わかりづらいなとか、いつの話?
って思っている方もいるだろうとは思うけどあえて伏せていること、

それは私の年齢である。
書いていないのは当時の年齢である。
要所要所で、卒業とか入学とか小学校、中学校とざっくり「時代」として
書いてはいるが年齢はあえて書かないことにした。
わかる人にはわかればいいし、
知りたい人は現在の年齢から逆算するもよし。

ただ敢えて私からは言わない。書かない。
【私は大学の休暇の時は帰省し
学習塾に頻繁に出入りし、雑用をやっていた。
ある女の子と出会いデートをして付き合うことになった。】

別に逆算なんかしなくてもいいかもしれない。
ただこの文章の中にある省かれた事実を汲み取って頂ければ幸いだ。

人によってはこのご時世だからか明らかに不快感を示す人や、
私に対してひどいレッテルを貼る人がいる。
正直、私はいい。そう言われても仕方がない。
しかしこれは相手がいることであって、あまりおおっぴらにすると私だけの問題ではなくなってしまう。

ではなぜ、こんな中途半端に書こうと思ったのか。
それは単純に私の一部だからである。
これも私が起こした事件のうちで、
私の内面を形成する大事な要素であり、
私自身が私という人間がどういうものかを理解した出来事だからだ。

ただこれだけは言っておく。
この時はデートはしたがほんとに幼稚なものだった。
公園へ行ったり、その辺をブラブラしたり、それだけだった。

しかし最悪なことに、私たちの交際に女の子の両親が猛反対をした。
当たり前だろう。
2人で歩いている姿を目撃されたのだ。
その時の私は、髪は金色、ブルーのカラコンを入れて、
かなり奇抜だった。
そんな男に交際をオッケーする親がいるならよっぽど寛大なのだろう。

私に抗議の電話がかかってきた。
私も私なりに応戦したが、言っていることは完全に向こうが正論だし、
私のはただのわがままだった。

この事件は、“付き合うことはできたけどとんだ邪魔が入ってご破算”というネタになんかできないような話に発展していく。

その子の両親は私だけではなく、学習塾に抗議した。
これは正しい判断であり、かなり常識的な行動である。

学習塾は管理責任を問われた。
そして、何がどういう話でそうなったのかはわからないが向こうの両親は
私のことを警察へ相談しに行く、と張り切っていたそうだ。

学習塾側は精一杯、警察への相談を静止してくれた。
ある条件と引き換えに。

その条件とは、私の学習塾への出入りを永遠に禁止すること、

永久追放だった。

あのおもちゃ屋と同じように私はまた居場所を失った。

自業自得と言われれば完全にぐうの音も出ない。

これで私は失踪事件と、留年確定事件に加え、学習塾永久追放事件の
前科三犯の身の上となった。

正直、この事件はいつなのかがはっきりしない。
私は相手の両親から猛講義の電話を大学のある都市の部屋で受けた。
それは確信がある。

そうすると、失踪事件の後ということになるが失踪事件の後は
一旦実家へ強制送還され、何日間か過ごし大学へ戻り、
留年を言い渡され中退を申し出る。

この期間はほぼ何も個人的に動けなかったわけだから、
「学習塾に通う」という行為はできない。

冒頭で

【私は大学在学中、長期休暇になると足繁く帰省し、
学習塾へ頻繁に出入りするようになっていた。
その時はMはもちろん、他の人間との国交が減り、
ストレスが溜まり、学習塾へ行き雑用などを進んでやっていた。】

と書いたが、失踪前の大学在学中の長期休暇は
ほぼMとその仲間たちと過ごしていたという確信がある。

もちろんその間一切学習塾に行っていないかと言われるとそうでも
ないのだが、まだ永久追放事件の相手方がその塾に入塾していない。

失踪事件の前でもなく、後でもない。
確実に、この事件は発生していて現に今も永久追放のお触れはとけていないままである。

この事件は私の人生でどの期間にあった事件なのだろうか。

ほんとうにこの【時間軸】で発生した事件なのだろうか。

中退後、実家に強制送還された私はその最悪な環境の中で
一筋の希望を見出すことになる。


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