こんな世界なくなればいい【映画】世界の終わりから
■世界の終わりから
■あらすじ
事故で親を失い、学校でも居場所がない孤独な女子高生・ハナが、終わろうとする世界を救おうと必死に奔走する姿が描かれる。
■「世界の終わりから」のみどころ
①めちゃくちゃ豪華なキャスト陣
キャスト陣が豪華すぎる。
まずは北村一輝、高橋克典、夏木マリという絶対に外さないラインナップである。さらに朝比奈彩のかっこよすぎるシーンにはシビれた。
特筆すべきはやはり主役、伊藤蒼のすばらしさに尽きる。
私が初めて伊藤蒼という女優を知ったのは映画【さがす】であった。
その時からすごい娘さんがいたもんだと驚いていた。
②圧倒的な芸術的映像美
紀里谷監督の作る作品はどれも色彩が美しい。
【GOEMON】、【キャシャーン】、【ラスト・ナイツ】も同様である。
モノクロのシーンもただのモノクロではなく、色彩としてのモノクロが
作品を深いものにしている。
③ありふれた終末モノとは違う独特な世界観
よくある“世界が滅びるのであなたが救ってください”系の終末モノとは一線を画す作品。伊藤蒼演じるハナは世界を救う主人公とは真反対の人間なのだ。ほとんどの終末モノのヒーローやヒロインは確かに不遇な環境に置かれている者が多い。その不遇をバネにして戦い、敵などとも和解しながら世界は素晴らしいものだという結論に帰結する。
しかし昨今ではその“世界は素晴らしいものだ”という結論に疑問を覚えるような時代になってきていることも事実である。
もしかしたら紀里谷監督は【GOEMON】【キャシャーン】【ラスト・ナイツ】の頃から“この世界が救うに値する世界なのか”という葛藤をすでに抱えていたのかもしれない。その葛藤が素晴らしい映像美と音楽、キャスト陣の演技によって視覚化されている。
■絶望しか見えない世界は救われるべきなのか?という究極の問い
●世界を救うということ
ハナは両親を亡くし、祖母と暮らしていたがその祖母も冒頭で他界する。
学校では弱みを握られいじめられる。
生活費を稼ぐために忙しくバイトをしている。
ハナは祖母が亡くなり、ひとりで生きていかなければならない。
ハナはメイクの学校に行きたいと思っていたがそれももう叶うことはない。
そんなハナに「世界を救え」と言うのだ。
それは無理だろう、と私は思う。
あまりにも都合が良すぎる。
しかし、昨今の映画やドラマ、アニメ、小説などでもこういった“環境に恵まれない系主人公”が「それでも世界は美しいんだ!私は世界を救う!」となることがほとんどだ。正直私はこの流れは嫌いではないが、納得はできない。
やはり都合が良すぎるのだ。さんざん痛めつけておいて、つらくなったら助けてくださいはないだろうと思うのだ。
「見た夢を話してくれれば世界を救える」と言われ一時は世界を救うことに
踏み出したけれどやっぱりハナは世界を救うことをやめた。
なぜならハナにとって世界とは、“ハナを取り巻く環境”でしかないからだ。
“ハナを取り巻く環境”とは【身よりもなくたったひとりで、好きなことを諦めただ生きるためだけに働き、弱みを握られたまま痛めつけられ傷つけられるだけの世界】なのだ。そんな世界を救いたいと思う人間がいるだろうか。
ハナが世界を救わなかったのは当然なのだ。当たり前でそれでいのだ。
ただ言えるのは、ハナにとっての環境は狭すぎるということである。
この世界は【身よりもなくたったひとりで、好きなことを諦めただ生きるためだけに働き、弱みを握られたまま痛めつけられ傷つけられるだけの世界】だけではないのだ。少し枠からはみ出し、レールを外れることでそんな世界とは真逆の世界が存在するのも事実だ。
だが、何かの枠からはみ出し、レールを外れることでまた違う絶望はやってくる。絶望の無限ループはずっと続く。
とどのつまり、どの絶望で納得できるか、絶望と得るものを秤にかけ飲み込めるほどの絶望の世界で生きるしかないのだ。
私は世界は救われるべきか?と問われたらおそらくハナと同じ結論を出すと思う。
最後に未来の世界でソラが言う「ひとりぼっちはもういやだ」という言葉。
奇しくも、ハナもそう思っていたに違いない。
ひとりぼっちの世界なんてなくなればいいのに。
それでも絶望しか見えない世界は救われるべきなのか?
紀里谷監督からの最後の大きなメッセージに感動した作品でした。