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【現実】ぼっち帰還。

ある意味無事に卒業式を終え、大学入学までの猶予期間がある。
言いそびれたが、なんと相方は地元の大学の合格した。
私に薦められたN大学だった。
英語の成績はよくなかったが、なんと合格したのである。
ここで私たちは地元と県外という遠距離コンビとなることが
決定したのである。

でもいいこともあった。
4月からは遠距離コンビだから
そうそうネタ合わせもできないということで、
とりあえずみっちりこの休みの時に2人で合宿がしたいと思った。
どうせやるならものは試しということで、
笑いの本場大阪でやりたいということになった。

なんと私の両親が大学合格の副賞として大阪旅行を許可したのだ。

2人で大阪へ行き、かの有名なNSCやBASEよしもとへ行った。
この話は本当に長くなるから割愛する。

結果、相方はその大阪合宿中に辞めたいと言った。
理由は私が鬼すぎたということ。
遠距離になるし、せっかく大阪だから
爪痕を残したかったというのもあるし、漫才の練習が壮絶になった。

私がネタを書いていたからおもしろい言い方とか
間が違ったりすると同じフレーズをずっと練習したりしていた。
相方にキレて怒鳴ってしまうこともあった。相方は我慢できなかった。

笑いのスキルアップのための合宿は、
コンビ解散のきっかけとなる最悪なものになった。
今考えればもともと遠距離になる予定だったし、
相方の性格を考えれば空中分解してたかな、とも思う時もあるが
その時はショックだった。
漫才師になるとばかり思っていたので、コンビ解散でどうすればいいか
わからなかった。

しかも両親からはもちろん反対されているし、
大学の入学を蹴ってNSCに入るなんて絶対に許されない。

4月になり、とりあえず大学に通うことにした。
新しい相方が見つかるかもしれないと思った。

誰も私を知らない新しい土地。
大阪まで行っていたので、知らない土地というのが
変な不安をかき消していた。

念願の一人暮らし。
入学の何日か前に一人暮らしのアパートに入り、街を散策した。
どこに何がある、とかここで飯を食うのかーとか
このコンビニが近いからジャンプはここで買おうとか。

甘かった。

入学してすぐに現実という地獄に突き落とされた。
同年代の人間との関わり方が全くわからなかった。
考えてみれば、今までまともに友達なんていなかった。
高校に入ったら入ったで全校生徒から白い目で見られ、
同じクラスの子とは友達かと言われるとそうではない。
お互いが生き残るためのただの毎日一緒に過ごす人。
クラスの人間とどこか遊びに行ったこともなければ、
卒業後の連絡先すら知らない。

同年代が何を喋っているのか本当に理解できなかった。
というより、人とどうやって関わればいいのかわからなかった。

友達ってどうやってできるのかわからなかった。

またひとりになった。

私の大学生活は荒れた。
昼夜逆転生活。夕方起きて、チャリで遠めのTUTAYAに行き、
映画を何本もレンタルして夜通しみる。
めざましテレビのエンディングの「いってらっしゃい!」を聞いてから寝る。
そして夕方起きて・・・の繰り返し。

ほとんど学校へは寄り付かなかった。
たまに行っては居場所がなく逃げるようにして帰る。

浮いているのがはっきりとわかった。
私は高校時代に縛られた生活をしていたことが災いし、
卒業後すぐ髪をオレンジに染めていた。
むしろ私の地元より都市だし普通だろという意識があったが
実際は髪を奇抜な色に染めている人はいなかったから完全に浮いていた。

そして、私は中学、高校ともに恋愛経験がなかった。
モテるわけなかった。
中学では空気、高校ではガリ勉、
普段着はヨレヨレのパーカー、真っ青なデニム。
大学では髪はオレンジでまだヨレヨレのパーカーと
真っ青なデニムを履いていた。

そこで気付いたのである。
大阪の合宿の時お客さんが決めるオーディションで、
ネタの冒頭も冒頭で不合格のボタンを押されたことがあった。
よくよく考えると、勝ち残っていたコンビはスーツを着たり、
おしゃれな今風な格好をしていた。

「何で気づかなかったんだ!とりあえず、服を変えなければ!」

こんな上品なホームレスのような格好では友達はおろか彼女もできない。

行きつけのTUTAYAに行き、ファッション誌を探した。
でもどんな雑誌を見ればいいかわからない。
何時間もかけて、いろんなファッション誌を見て、
とりあえず自分がかっこいいと思う雑誌を買った。

忘れもしない。

「MR.HI-FASSION」

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(これが買った実物である。)


パリコレとかガチもんのファッションモデルが紹介されている雑誌だった。
まったく何もわからない、何も知らない私はそれが最先端だと思った。
いや、最先端なのはそうかもしれないが一般向けじゃなかった。
スケスケのローブ一枚のモデルさんとかいて
「こんな服の人街で見たことないやん。」と思ったけど、
それを信じるしかなかった。

そしてなお拍車をかけたのが「私立探偵濱マイク」だった。

画像2

あの永瀬正敏がかっこよくて、こんなファッションいいじゃん!ってなって
MR.HI-FASSIONをベースに濱マイクのファッションをハイブリットさせてしまった。


地獄のハイブリッドファッションの完成である。

わざわざジョージコックスを買って、リングとかほとんどの指につけて、

「よしよし。これでみんなと同じファッション・・・」

結果より人が寄ってこなくなった。
結局友達なんか1人もできなかった。彼女なんかできるわけない。

でも、意外とファッションに関しては楽しくて
それからそのスタイルを変えることなく、貫いていくことになる。


その他にもたくさんのファッション雑誌を買って、
自分がいいと思うファッションのスナップを切り取って壁に貼りまくり、
研究に研究を重ねた。

一応都市だったのでブランドショップやセレクトショップは
たくさんあったのでいろんな店に行った。
有名なブランドの店で、
わけのわからない柄のTシャツを8000円で買ったり、
フードマフラーなるものを雑誌で見つけていろんな店を探し回り、
見つけて買って、実際身につけたらマフラーの部分が2mぐらいあって
顔の半分が隠れてしまったり。

問題なのは、お金である。
仕送りとしての生活費だけでは足りなくなり、
初めて居酒屋でバイトをした。

居酒屋では最低な仕事ぶりだったが、初めてのアルバイトということと、
まだまだ大学生ということでそんなに咎められはしなかったが、
仕事ぶりでというより居酒屋のやんちゃなノリについていけなかったり
人間関係の部分でけっこう苦労した。

これはあんまり言いたくないが、仕送りと、奨学金とバイトの給料を合わせたら20万近くになって、何とこれを書いている今現在でも

「月に入ってくるお金ランキング」では2位の座を譲らない。

その20万を湯水のごとくDVDのレンタルとファッションに使った。

私の映画好きとファッションセンスはここで確立された。
ファッションセンスに関しては今でも彼女には
「何でそれ?」とか「それはどうだろう。」とか
「あなたの選ぶ服はわからない。」と言われることがある。

ある意味おもしろおかしく書いたが、実際の生活は頭が狂いそうだった。

いや、その時からずっと今も狂い続けているのかもしれない。
ずっとネタは書き続けていたが、見せる機会もしゃべる相手もいない。

何日も何日も誰とも話さず、
映画とファッション雑誌とネタ帳を見つめる日々。

たまにご飯を買いにコンビニに行った時、「温めますか?」と聞かれ、
「お願いします。」と答えることが久しぶりに声を出した、
というようなことになっていた。

糸が切れた操り人形は動かなくなるのは当たり前のことだ。

私の大学生活は誰一人友達もできず、彼女なんてもってのほか、
誰とも関わることのない生活が続いた。


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