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【逆噴射家族】カゾクの形<第一回>家族間戦争

■逆噴射家族(1984)

逆噴射家族』(ぎゃくふんしゃかぞく)は、1984年6月23日に公開された日本映画。監督は石井聰亙。家庭を舞台にした戦争映画と注目を受けた。原案・脚本は漫画家の小林よしのり。

Wikipedia/逆噴射家族
逆噴射家族 あらすじ

・小林家の人々

逆噴射家族 小林家の人々

※これ以降ネタバレを含みます。ご視聴予定の方はご視聴後ご覧ください。


■小林家崩壊の原因

▼寿国の襲来—メタファーとしてのシロアリ—

小林家の崩壊の序曲は兄夫婦に追い出された寿国が小林に転がり込んだところから始まる。生きてきた時代も社会システムも価値観も違う寿国はまるで自分の家が如く勝手気ままに振る舞う。おそらく兄夫婦のもとでもそうだったのだろう。勝国の兄夫婦は匙を投げ、新居を建てた勝国をあてにしたのだ。勝国は自身の父である寿国を尊敬していて大事にしようとしている。
加えて自身の家族も過度に大事にしているために板挟み状態となる。

 寿国の部屋を作ろうと床を掘り返した際にシロアリを発見した勝国は狼狽し駆除しようとする。会社に行ってもシロアリが気になり、家に蜻蛉返りしてしまう。シロアリが家を食い荒らすことが不安でたまらないのだ。

 それは、寿国が家にいて自分の理想の家族を作り上げることの邪魔になっているからでありシロアリを駆除することで寿国への不満やストレスを緩和しようとしているのかもしれない。
勝国にとって寿国も初期の<家族>であり大事にしなければならないが
勝国自身の<家族>もないがしろにできない。だからこそシロアリ駆除という大義名分を掲げているのだ。
寿国を駆除する代わりにシロアリを駆除することに一生懸命になることで
家族を大事に思っているとアピールがしたいのだ。そのアピールがどんどん度を越し、小林家の崩壊へと繋がる。


▼家族の“病気”と勝国の“病気”

勝国は自分以外の家族が病気だと思っている。しかし実は家族は病気でもなんでもない。勝国も含めて変わり者ですらない。ごく一般的な家族なのだ。
しかし勝国は病気だと思い込んでいる。勝国が言う病気とは
《自分の理想の家族とは違う》ということではないだろうか。

 長男の正樹は何を考えているのかわからず、受験ノイローゼ。
長女のエリカはキャラをつくっている。実際に喋り方がおかしいと序盤に柔らかく注意している。妻はお調子者すぎて、過剰なサービス精神の持ち主。
しかしこれは何も病気ではなく、単純に人格であったり時代性であるのだ。

 受験ノイローゼの正樹は東大という難関を目指している以上は厳しい受験戦争の渦中だ。異常な受験戦争の中で正樹は自身を変化させたのだ。
それを世間や社会は“ノイローゼ”と呼ぶかもしれない。正樹があれだけ異常な行動をしていても異常な受験戦争という前提があれば別に不思議ではない。エリカは女優か女子プロレスラーか将来を迷うのだが華やかな世界に憧れるのは思春期にありがちな妄想である。これもまたこの年代には珍しくはない。しかし勝国が思い描いていた家族像とはまるで違うのだ。

 この物語は、奇行を繰り返す家族に翻弄される父勝国の物語ではなく、
父勝国が自身の理想の家族像を他の家族に押し付けようとする物語ではないかと考える。
勝国は各家族の現代への順応や現代においての変化、個人のバックボーンなどを理解できないのだ。

■同居問題と家族、そして家督制度

▼根強く残る家督制度—シロアリ化する親と墓—

 寿国はもともと勝国の兄夫婦のもとにいた。
現代でもまだまだ親の面倒は長男がみるということは当たり前のようだ。
親の面倒だけではない。(地方に限らずではあるが)
地方の方が色濃く《墓守》としての役割は根強く残る。
かくいう私も長男であり、幼い頃から父親や祖父母に「大きくなったらお墓を守らなければならない」と言われ続けた。

 地方においての《墓守》という役割は何を意味するかというと、
——私の父や祖父母の感覚かもれないが——
「進学だろうが就職だろうが県外には出てくれるなよ」という意味である。
もし進学か就職でやむなく県外に出たとしても結果的には地元へ戻り墓の世話をしなければならないのだ。

 私ももれなく県外行きを反対された。
もとは東京か大阪を希望していたがその希望は検討の余地すら、それどころか発言の機会さえ与えられなかった。それでも私は県内の進学を渋りに渋り、県外ではあるものの電車で一時間半の距離である小都市にある大学に入学を許された。地元に帰ってこなければならないという掟を余裕で守れる距離である。

 私の両親は年老いても面倒を見てもらわないでいいようにしているとは言っているが、それはあくまでもポーズ(私に選ぶ自由があると錯覚させるため)であり、私の進学を近場で抑え込むということが何よりの証拠である。私は勝国のようにシロアリ(寿国)の面倒は見たくないし《墓守》の役割だって御免である。
 
 もちろん兄弟で相続関係とともに協議して決めるというパターンもあるだろうが、面倒を見る側の家族(主に妻)にしてみれば祖父母とはいえ他人である。嫁姑問題など多くの軋轢を生む。よって親の面倒をめぐってたらい回しになるのがオチである。寿国のようにシロアリ化し、家庭を蝕んでいくのが目に見えている。子が親の面倒を見るのが当たり前だろうという常識的な考えを持つ方には理解し難いかもしれない。それは親に対して少なからず感謝や尊敬を抱いているからである。私が言っているのはそうではない場合の話だ。

考えてみてほしい。
自分の将来が、親の面倒と墓を守るために好きな場所で生活もできないということを幼い頃に知ってしまうということを。
面倒を見なければならない親は、自分の将来を潰した張本人である。

この家督制度や親の面倒は長男がみるといったシステムは、子の人生を限定的にするものであると考える。

▼機能不全家族—幼い頃の風景—

家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、ネグレクト等が恒常的に存在する家庭を指す。機能不全家庭とも称され、その状態を家庭崩壊もしくは家族崩壊と言われている。

Wikipedia/機能不全家族

・幼い私がみた風景—同居の話—

 私の家族はこの機能不全家族に該当するのではないかと思う。
しかし専門家に言わせれば違うかもしれない。
説明文などを見る限り該当してもおかしくはないと考える。

 私のかつての家族は四人家族である。
(かつての、というのはもうすでに私の中では家族ではないと考えているため)地方公務員の父、専業主婦の母、私、年の離れた弟の四人である。
奇しくも『逆噴射家族』の小林家と頭数は同じだ。違うのは祖父と同居はしていなかった。劇中での小林家は寿国の同居が問題になるのだが、
私の家族は“同居をするかどうか”という問題であった。

 私の父も長男であるため、《墓守》と親の面倒を仰せつかっている。
父は元来真面目な性格と時代的にそういう制度が当たり前だと思う世代だからなんの疑問も持たず、地方で働いている。
問題は母だった。母は将来的に田舎のさらに田舎にある父の実家で
祖父母と暮らすことを極端に嫌がった。
もともと性質がまったくあわなかった。母の実家は貧乏で兄妹も多く、
それゆえざっくばらんな家庭だった。
それに対して、父の実家は田舎のさらに田舎で伝統と世間体で成り立っているような家庭だった。考え方も価値観もまるで違う家庭だったのだ。

 親戚の集まりなどで、祖父母の家に行った帰りはいつも夫婦喧嘩だった。
幼い私は軽自動車の後部座席で、泣きながら喚く母親と運転しながら母を宥める父を見ながら家に帰る。その度母は同居はできないと断言するのだ。

祖父母との会合でさえ家庭の軋轢を生む、これが幼い私が見た将来の私である。私も結婚をして家族ができればいつかこういう不毛な話をするんだと悲しくなった。

・幼い私がみた風景—子育ての話—

 私は人付き合いが苦手だ。人の輪の中に入ったり、輪の中にいることが苦手で苦痛なのだ。

 私が小学校低学年の頃はテレビゲームが大流行していた。クラスのほとんどがなにかしらのゲームを買ってもらっている中、私はどんなゲームも買ってはもらえなかった。理由は《ゲーム脳》になるからであった。《ゲーム脳》とは根も葉もないものであり、私の両親もその本質的な内容もほとんど理解してはいなかったと思う。ただ“テレビゲームは命の大切さがわからなくなる”というたったひとつの標語だけで私にテレビゲームを与えなかった。

 テレビゲームがどうしてもほしかったというわけではないことに大人になって気がついた。欲しかったのはクラスの友達との共通の話題であった。
その頃は猫も杓子もテレビゲームの話題ばかりで、持っていない子は相手にもされない。—田舎特有なのかもしれないし私の母校だけかもしれない—

他には、お年玉は全額回収された。「貯金しておく」と言いながら生活費に消えた。「お年玉の貯金いくらになった?」と聞くと「子供がお金の話をするな」と怒られた。

 おそらくお年玉の一部は私の被服費に当てられていた。
私が着たい服ではなく母が見栄を貼りたいだけのブランド服を着せられていた。周りの子はアディダスのトレーナーやプーマのトレーナー、他は普通のどこにでもあるシンプルな服。
私はブランド名が英字で書かれた洒落た服。あまりにも見た目が違った。
私が履いていたズボンを柄パンだと揶揄われたことがあった。
今考えると、見た目をそのまま揶揄ったなんのひねりもなくおもしろくもないし腹も立たないのだが、当時はすごく嫌であった。
それを母は聞こうとしなかったし、暗に他の子と同じような服がいいとアピールしても「他の服よりも高い、金をかけている」と逆ギレされる。
お小遣いももらったことはないし、遊びに行く時も狭い町内から出ることを許されなかった。

これだけではなく、私はいつも他の子と何かしら違った。
その違いを両親は「こちらが正しい」と言い、聞き入れることも
他の子と合わせることはまったくなかった。

私の幼い頃は、変な服を着て流行りのゲームは何ももっておらず、町内からも出ない、他の子と共通の話題がない子どもだった。

■カゾクが私にもたらしたモノ

▼過干渉—人付き合いと金勘定—

 過干渉がもたらしたのは、経験値の圧倒的不足である。私は同年代よりも経験したことの数が異様に少ない。ここで言う“経験”とは下世話な意味ではなく、純粋に生きる上でできる経験のことである。
 
 私の親は他の子はやっていることのほとんどをさせてくれなかったり、禁止したりした。そのことで輪の中に入れなかった。
その当時の輪に入れなかったことは、百歩譲っていいとして問題は、
《輪の中への入り方》をまったく学べなかったことだ。
 
 さらにお小遣いやお年玉どころかお金を持つことを禁止されていたので
いまだに《金勘定》が下手だ。散財するとか浪費癖があるとかではなく、
お金の価値が今だにわからないでいる。一般には理解し難い感覚かもしれないが、私は100円も100万円も同価値としか思えないのだ。
家賃が妥当であるのかわからないし、光熱費が高いのか安いのかわからない。

 私の弟は、私と違いなぜか好きなことをやらせてもらい好きな大学へ進学した。お小遣いも与えられ、お年玉も自分で管理させられた。
そんな弟は社会不適合者の私と違い、友人はたくさんいて、それ相応に稼ぎ立派に社会に貢献している(らしい)。

▼矛盾—人と違うことは許さない—

 両親は私が大学を中退するときにも不満だったし、その後の生活にも、
果ては私の考え方や、やりたいことさえも全面的に否定した。
理由は「人と違うことをするな」だった。幼少期にあれだけ人と違うことをさせておきながら、今さらになって「人と同じことをやれ」と言うのだ。
私は人と同じやり方を知らない。学べなかった。学ぶ機会がなかった。
同年代が、同性が、一般人が何を考え何を思うのかを知らない。

 勝国と同じように、私の両親も《こうでなくてはならない》という理想を私に押し付けたいだけなのだ。家庭の中にある小さな社会で語ろうとする。
路上という世界は広い。必ずしも自身の家庭がすべて正しいということはないのだ。いろんな考え方や価値観が存在し、衝突しながら回っている。
それを理解することなく、「人と違うことをするな」というのはあまりにも短絡的なのだ。

▼自由への羨望—クソな人生でもいい—

そんな環境から私の自由への羨望はかなり強い。
《墓守》もしない。親の面倒も見ない。誰かの言いなりにならない。
誰かのいいようにはさせない。自分が自由にすることで損をするとしても別にいい。いろんなことが犠牲になるが、私が自由にできるなら安いモノだ、というのが私の基礎基盤である。

 私が思う自由とは自分で考えたことができる、とか自分で選ぶことができるといったごく単純なものだ。ただどんな服を着るとか何を思うとか
実は当たり前のことで、哲学的なことではない。
自分の生き方を自分で決めるという当たり前のことだ。

 私は父のような勤め人には向かなかった。誰かに働く時間を決められて、
給料も決められている状態がまったく向かないのだ。働きたくないというわけではない。ただ、現在の社会は一生懸命スキルを身につけて発揮しようが、見てくれだけやっている雰囲気を醸し出していようが給料は同じなのだ。

 自分だけが頑張っていればそれでいいじゃないか、という人はおそらく周りの人間に恵まれているのだろう。私がいる社会では、環境では頑張れば頑張るほどやる気を出せば出すほど「余計なことをするな」と疎まれるだけであった。邪魔もされたし足も存分に引っ張っていただいた。
勝国が言うように、私だけが何かの“病気”のように扱われたりもした。

 結局他者は苦労せず、毎月決まった金額が銀行口座に振り込まれればそれでいいのだ。その給料が20万だか25万だかの高額な?金額が振り込まれさえすればいいのだ。私はその金額が妥当かどうかはわからない。
金額はどうでもよくて自分が何を成したかが重要であると考える。

しかし人はそうではない。
なるべく苦労をせず楽をしてお金をもらうことが大事らしい。
変化や進化を望まず、頑張る者を笑い、蔑み、イタイ奴、意識高い系など
揶揄う言葉だけは一丁前に勉強し、何も変えはしない。
さらにはたいして何もしていないくせに貰える金額に文句を言う。
二言目には「金がない、金がない」と言いながら携帯ゲームに課金し、流行りの服を買い漁る。個人の楽しみや余暇の過ごし方をどうこう言うつもりはないが、そういった矛盾を私は激しく嫌悪する。

 私は、特段なにもせず苦労や葛藤も、やり遂げたという感動もないままにもらう20万だか25万だかには興味がない。100円しか貰えなくても、自分の頭をフル回転させ、ゲロを吐くほど悩み、小さいことでもいいから何かをよくすること、変化させることができたなら大満足である。

足元を見られて損をすることだってある。
自分の考えが至らず、損をすることもある。
同年代や一般人が得られる幸福(とされるもの)は獲得できないだろう。
一般の人から見れば、何の価値もないクソみたいな生き方だろう。
それでもいいのだ。
私が自分の頭で考えて、大切なことを心で決めることができたから。
何かを自分で決める自由はいつも自分の心に置いておきたい。
これが、私がカゾクからもたらされた自由への異常なまでの執着心である。

■逆噴射家族からみる“カゾクの形”

▼家族の距離感

小林家には勝国が掘った穴がある。
小林家にぽっかり空いた穴。その穴の中には黒々とした泥が渦巻いている。
この穴は機能不全家族と言われる家庭には必ず存在する。

 火がガスに引火し、ぼろぼろになった家で食卓を囲む小林家の面々の顔は晴れやかだった。最終的に小林家は橋の下で路上生活をしている。
家財の一部を路上に並べ、各人の部屋も少し離れて設置してある。
朝ごはんを食べ、会社へ向かう勝国の自転車の後ろに乗るエリカ、
正樹は犬の世話をする、寿国はゲートボールをし、冴子は洗濯物を干す。
そんなありふれた生活が橋の下という路上で行われている。私はこのシーンは実際に小林家が路上で生活を始めたということではないと考える。

 勝国も他の家族も理解したのではないだろうか。路上は社会であり、その路上の中に家庭がある。つまり一つの<家族>でありながらも離れて設置された部屋のように各人が社会の中にいる。
時代性とバックボーンを抱えて生きること、各々には各々の社会があることを示唆しているのではないかと考える。

ラストシーンは家族が適切な距離感を理解したと解釈すればハッピーエンドだと考える。路上の橋の下にある小林家の部屋と部屋の距離は黒々とした泥が渦巻く穴の大きさよりも広い。でもその間に黒々とした泥はない。
あるのは、土だ。数歩あるけばそこは社会なのだ。
家族がひとりひとり生きていくためには居間に開けた穴よりも大きな距離が必要なのだ。

▼社会システムとしての《繭》

小林家は勝国が家を建て、その狭い家の中で理想の家族を作ろうとした。
家族同士を無理矢理結びつけようとしたのではないか。
それは明らかに理想であり、社会とは隔絶されていたのではないか。

 受験ノイローゼになるのも当然の時代で、華やかな世界に憧れることも、一軒家に越したことで浮き足立ち来客に過剰なサービスをすることも、
当然なのだ。それを勝国はわからなかったしわかろうとしなかった。
自分以外を“病気”にすることによって自分がまともだと思いたかったのではないか。
 
 路上での生活で、各部屋が離れて設置されているように家族の中にもある程度の《距離感》が必要であると考える。
家族の中に社会があるのではなく社会のシステムの一部としての
《家族制度》であり、自活ができない幼体のための《繭的システム》でしかないのではないだろうか。
それなのにその《繭的システム》に人間的な感情と半端な知識などで武装したモノを《カゾク》とよぶのではないか。

 幼体が自活できるまでのただの《繭》であれば、社会で生きやすく強く育てることがその使命である。しかし感情や半端な知識がおりまざることで、
一人の人間の行く末や才能などをいとも簡単に潰してしまう逆の性質を持ったシステムへとなり得るのだ。

 だからこそ、私は子が親の面倒をみるような親のシロアリ化を肯定するような家督制度や墓守といったシステムは反対であるし、
その状態を放置したり精神論や感情論で《カゾク》を続けるよりもさっさと家族ともきちんと縁を切れるようになった方が、大きな社会問題の大半は未然に防げそうな気がするのだ。

■家族間戦争

▼見えない戦争

 家族の中での戦争は他者にはわかりづらいものだ。
プライベートで普通はクローズな状態であるし、家族の数だけ事情がある。
いくら行政や法律とは言っても入り込めない時期や部分がある。

 家族間戦争は、水面下で起こる。
虐待をしつけと言ったり、特殊な価値観を家風と言ったりする。

 私が幼い頃に経験した同居するしない問題も他者は知らなかったし
言って回るモノでもない。それが原因で母親の心が壊れたり、
私が家族からの解放を望み連絡を一切とらなくなったりしたが、
誰もそれがただ父の家族との折り合いがつかないということが原因だということは知らないし理解できようもない。

 さらにそのことで家族の誰かが生きづらくなり、支援が必要になったとしても、たかだか夫婦喧嘩が原因ではどの支援も要件なんて満たさない。実際に家族間戦争が起こっていることは、誰にもわからないのだ。
だからこそ社会不適合者はステルス的に生まれる。

▼認知されない<前身体>

この状態を私は<前身体>と呼んでいる。
しつけと言われればそうだし、教育方針だと言われれば反論ができない。
しかし結果的に成長するにつれ、社会や他者との軋轢が起きる。
溝がどんどん深まっていく。もちろんそうならない者もいる。
そうならない者がいるからこそ存在がないものにされている。
本人の努力が足りない、とかもっと頑張っている人がいるといった
精神論や成立していない対比を持ち出して問題を矮小化し抹消する。

私が一般人のように、父が望むように公務員やどこか企業で会社員をやれないのは私の努力が足りないからか?
私が他者とうまくやれないのは、私が何かの“病気”だからか?
違う。そういうことを経験していないからだ。適切な時期に適切な経験を経て学ぶことを獲得していないからだ。

その原因が私の家庭内で起こっていた戦争であることは立証もできなければ
確認や定義もできない。家風や教育方針だったからだ。
そういう<前身体>の人間は、生きづらさを抱えているがどんな支援も手続きも条件要件を満たすことができない。

 私は法的に家族と縁を切る方法や、将来親の面倒を放棄することができるかを調べたが実質まったくない。
分籍したとしても追跡は可能らしい。例外としてDVや虐待があると判断された場合は閲覧制限をかけることができるらしいが、家風や教育方針は虐待やDVには当たらない。精神的な虐待やDVを証明しようとしても悪魔の証明さながら難しい。もっと虐待らしい虐待をされてPTSDでも患ってさえいれば条件要件を満たすのにと考えることさえある。

(PTSD等で苦しんでいる方に失礼な文言ですがご容赦ください。
決してPTSDや虐待・DVを軽視している内容ではありません。)

誰も気づかない家族間戦争。誰も認めない家族間戦争。

『逆噴射家族』の勝国はその穴を可視化したのだ。誰の目にも見えるように、黒々とした泥が渦巻く穴を見せつけた。

 では現実で、その穴に相当するものはなんであるのか。
《家族制度》の穴から生まれる要件を満たさない社会不適合者の誕生をどうやれば白日の元に晒せるのか。
誰も知らない家族間戦争を表面化するにはどうしたらよいのだろうか。

どこかの家庭で起こる家族間戦争を、いまだ“誰も知らない”


<次回:第二回 【家庭内で起こる誰も知らないこと】
参考映画;誰も知らない-Nobody knows-(2004)>

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