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【短編小説】普通の生活
毎朝満員電車に揺られる日々。決まった時間に家をでる日々。
決まったことを機械のようにこなす日々。
誰かに媚びへつらい頭を下げる日々。
さも誰かより能力が優れているかのように、誰かに指示や命令を出す日々。将来の不安なんてないと、この日々の先には安泰が待っていると信じている日々。
幼いの頃の夢は未熟だったからと諦め、青春の中で憧れた世界は大人よって潰され、目の前の生活だけを大事にする日々。
終電に乗って家へ帰る日々。酔い潰れたサラリーマンは何か真実を見たが、何もかもがもう遅いことに絶望しているのかもしれないと思い、それが自分の数年後かもしれないと恐怖を感じる日々。
家に帰れば大恋愛でもなく流れで結婚した妻がいて、かわいいし大事だと思える子供がいる日々。子供を叱る時、自分の親と同じことしか言えず、自分が潰されてきたことが頭をよぎるが無視する日々。
子供の寝顔を見ながら、これが幸せななのだと言い聞かせる日々。
普通の日々。普通の生活。誰が見ても普通の生活。
誰かと同じ普通の生活。幸せだと自分に言い聞かせ、思い込む生活。
フミはそんな生活は望んでいなかった。
フミの父と母は一般的な会社員と専業主婦だった。
裕福ではないが、貧乏でもない。
何かに困ることはなかったが、何か特別なこともなかった。
「オト、おれと芸人にならないか?」
「なにそれ。からかってんのか?」
オトにそう告げたのは、高三の三者面談を一ヶ月後に控えた時だった。
オトを誘ったのは、この時期にまだ進路が決まっていなかったからということもあるが、仲の良かったオトしかいないと思ったからだった。
普段からオトとは掛け合いのような会話で周りを笑わせることが多かった。
オトは主につっこむことが多かったが、ふとした時にでる世間知らずからくる天然なボケがスパイスになっていた。
「三者面談で芸人になりますっていうのかよ。まためんどうなことになるよ、それは。フミは大学行くんじゃないのか?」
「大学は最終手段で、プロセスでしかないな。おれは普通の職には就きたくないんだ」
「フミはそれがいいかもな。そっちのほうがフミらしい。でもおれは違うかな。そういう世界じゃ生きていけないと思う」
オトはリアリストだった。自分の適性や性分を自覚していた。
オトは普段から自ら目立つことや、抜きん出ることは苦手だった。
フミのそばに立っていて、常識的なことや正しいとされることを、
語彙力となめらかな声でフミをサポートすることしかできなかった。
しかし、そんなオトもフミの言うような普通の生活を本当は望んでいなかった。フミのようにその普通の生活を捨てる覚悟、普通のルートを選ばないという覚悟ができないことも理解していた。
「おれらだったらうまくいく気がするんだ」
「フミ、冗談はよせよ。早いとこ大学なり専門学校なりに決めて
担任とか親とかの風当たりを弱めないとしんどいぞ」
一ヶ月が経ち、無事三者面談を終えた。
オトとフミは大学へ行くことで担任や親を安心させることができた。
しかしそれはまた別の束縛、
大学受験という名の監視が始まるということだった。
月日は経ち、オトとフミは別々の大学に受かった。
どっちの大学もたいして偏差値が高いというわけでもなく、
小さな地方大学だった。それでも地方での就職には強い大学だった。
春から大学生になる切符を手に入れた二人は卒業を迎えた。
卒業式の夜、フミはオトに電話をかけた。
「オト、もう一回言わせてくれ。おれと芸人にならないか?」
「フミ、それは今決めないといけないのか?おれらはこれから四年間はゆっくり考える時間があるんだ。大学行きながらでもいろいろ考えよう」
「そうか。わかった」フミはそれだけ言って電話を切った。
その後しばらくして、フミは連絡が取れなくなった。
オトは受かった大学にも入学しなかったと聞いた。
都会へ出て、とある事務所の養成所に入ったらしい。
オトは大学へ入学し四年間を自堕落に過ごし、
受かりそうな会社を適当に選んで、
好きでもなく興味すらない仕事を流れるままにこなすことになった。
それから数年が経って、今の妻と出会い子供を持った。
——毎朝満員電車に揺られる日々。決まった時間に家をでる日々。
決まったことを機械のようにこなす日々。
誰かに媚びへつらい頭を下げる日々。
さも誰かより能力が優れているかのように、
誰かに指示や命令を出す日々——
「そんな生活でおれらは本当に満足できるのか?」
三者面談の一ヶ月前に、フミに言われたことが今になってじわじわと芽吹き始めていることにオトは気がついていた。
——さも誰かより能力が優れているかのように、
誰かに指示や命令を出す日々。将来の不安なんてないと、
この日々の先には安泰が待っていると信じている日々——
「おれらはたぶん無理なんじゃないか?いつか絶対、無理が出ると思うんだ」
フミの言葉が頭を巡る。
——幼いの頃の夢は未熟だったからと諦め、青春の中で憧れた世界は大人よって潰され、目の前の生活だけを大事にする日々——
「どこかで自分の人生の何かを自分で決めないとずっと誰かに決定権を渡すことになると思う」
フミの家庭はオトの家庭よりもずいぶん厳しかった。
社会から外れた生き方など許されるはずもなかった。
よくいう言い回しだが、フミの前にはすでに将来のレールは敷かれていた。
フミはそれがどうしても納得できなかったのだ。
——終電に乗って家へ帰る日々。酔い潰れたサラリーマンは何か真実を見たが、何もかもがもう遅いことに絶望しているのかもしれないと思い、それが自分の数年後かもしれないと恐怖を感じる日々——
「幸せだと思い込んでいても、ふとした時に何かに気づいた時
そこにはもう絶望しかないと思わないか?自分は一体今まで何をしてきたんだろうとか、誰かが決めたのレールの上で自分が何者かもわからなくなるっていうのは怖くないか?」
フミは、こうなることをすでに知っていたかのようにオトに言って聞かせた。
——家に帰れば大恋愛でもなく流れで結婚した妻がいて、かわいいし大事だと思える子供がいる日々。子供を叱る時、自分の親と同じことしか言えず、自分が潰されてきたことが頭をよぎるが無視する日々。
子供の寝顔を見ながら、これが幸せななのだと言い聞かせる日々——
「オト、このままだと一定期間は幸せだと感じるかもしれない。
食うに困らず、家族を持ち立派な社会人だと思い込むかもしれない。
それが、ある時に気づくと思うんだ。その幸せの代償は今の自分と、
なりたかった自分、なれたはずの自分だと」
若かりしフミが言う未来は、今のオトの生活を言い当てていた。
フミはオトの未来を見てきたかのように語った。
「芸人ってすごいんだ。人を笑わせるってことはすごいことなんだ」
フミが目を輝かせながら語った言葉が今言われたかのようにオトの耳に響く。
オトが家に帰ると妻と娘が笑顔で迎えてくれた。
この二人には笑顔でいてほしいと思った。初めて人を笑顔にしたいと心から思った。それは、楽な生活や裕福な生活、何不自由なく暮らせる生活での笑顔ではなく本当におもしろいと思った時に出る笑顔を守りたいと思ったのだ。人として、おもしろいと思えることがあるという人生の彩りを知ってほしいと思った。
フミ、君は今どうしているだろう。
今もまだおもしろいことを追いかけているだろうか。
そうであって欲しいと願う。
もう遅いかもしれないけど、自分もそうありたいと思う。
あの時フミは言った。
「おれはほんとうに好きな人ができたら、
その人をこの世で一番笑った人にしたいんだ」
思い出の中の屈託なく笑うフミの顔は霞んでいた。