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【失敗】どこにもいけない人形。

あのフェリーまでお世話になったあの女性だった。
座間味より先の島へ行って、もう本島に帰る途中だった。
わざわざ座間味で降りた私を気にかけてくれて、
降りる予定ではなかったがわざわざ降りて
探してくれたようだった。

現状を伝えて、戻ろうかと迷っていることを伝えると
「戻ったほうがいいよ。」と言われた。
女性は私の無事を確認するとすぐフェリーで本島へ向かった。
実際お金も少なくなってきたし、
ペンションの方にも迷惑はかけられないと思った。
戻ることをペンションの方に伝え、とりあえずなにもできなかったし、
ありったけのお金を出して


「今までの分には足りないですが、
とりあえず今これしかないので受け取ってください。
足りない分は向こうに戻って働いて必ずお支払いします。」


と電話番号を書いた紙を添えて渡した。
するとペンションの方は笑いながら
「このお金渡してどうやってフェリーに乗って飛行機乗るの?
お金はいいから。無事に帰ってね。」
そういってお金を持った手を私の胸に返した。
なんと言って良いやら。
私はお世話になったペンションにお礼を言って後にした。
フェリーに乗り、とまりんに戻ってきた。
歩いて空港まで行く。

結局フェリー代を使った残りでは、戻る飛行機には足りなかった。
意気消沈し、一か八か携帯の電源を入れた。
誰にかけていいかわからず、空港に黙って座っていた。

数分後、案の定父親から電話がかかってきた。
どこにいるのか、状況を伝えると、今すぐお金を口座に振り込むから
すぐ下ろして即戻ってこい、とのこと。
強制送還である。
2週間ぐらいのプチ失踪になってしまった。
失踪するって突発的なイメージがあるけど
最低限の準備はいるもんだと勉強になった。

そして同時に操り人形の復活である。

とりあえず実家に戻って、
まるで保護観察のような生活が3日ぐらい続いた。
そしていい加減学校に戻らないといけないとなって、
あの部屋に戻った。
懐かしい。

そう言えば、その保護観察の3日のうちはいろいろあって
携帯を見る機会がなかったというか、
なんか携帯見ようとするとすごい目をされるので控えていたが、
よく見るとメールマークがついている。

電源を切っていたのでセンターに止まっていたらしい。

センター問い合わせをすると、びっくりするぐらいのメールが来ていた。
一番多かったのはMだった。

「電話繋がらないけど?」とか「おーーーい」とか
「お前どこ行った?」とか「電話して!!」とか
「生きてるよね?」そういうメッセージがたくさん届いていた。


お前が言うな、と言ってやりたい。

顔文字だけとかしょうもないものもあった。
他の人のメールもいろいろあったけど
一番最初にMに電話をかけて
「心配かけてすまんね。ちょっと休んでた。」
とだけ伝えたらひどく怒られた。

後日聞いた話によると、父は私と連絡が取れないので
一人暮らしの部屋を訪れた。
私がいなくなったということを確信し捜索を始めた。
とりあえず私が懇意にしていた学習塾の教師に連絡を取り、
私が行方不明だということを伝えた。
その教師は私とMの関係性を知っていたので
行方を聞いたがもちろんMは知らなかった。
ただ事じゃないと思ったMは私に電話をかけ続けメールを送り続ける、
という状態だったらしい。

私は大学のある都市へ戻った。

私が大学び戻ったころ、ちょうど学年の変わり目だった。
私は教務課から呼び出された。
当たり前だが留年です、とのことだった。

じゃ辞めます、と答えた。
どうにかなりませんか?とも言えなかった。

失踪前にきちんと単位を取れていたのが
ちゃんと出席していた心理学系統だけ。

留年回避の可能性はゼロだったし本音を言えば進級できたところでたぶん辞めることにはなっただろう。

というのも、私は教職課程のコースにいたのである。
学校教育は大嫌いだったが単純に学習塾の教師には憧れていたし、
できるならあの学習塾で働きたかった。
実際は学習塾の教師は教員免許がなくてもなれるらしいがそんなことは知らなかった。その教職課程の大イベントである「教育実習」について
ただならぬ噂を耳にした。

それは教育実習の現場は母校で行われる場合がある、ということである。
私は中等教育だったので、母校に戻るのがすごく嫌だった。
大学なんて辞めてもいいから母校にだけは戻りたくなかった。

だから留年ですと宣告された時すぐに辞める
というカードが切れたのである。

そもそも、私は大学に行く気なんてサラサラなかったのだ。
公立高校を不合格になり、埋め合わせで受けた私立高校の特別クラス。
大学への進学が目標だったのでたまたま大学進学への道を進んだが、
是が非でも行きたいと思っていたわけではない。
むしろそれこそ天下の吉本興業に行きたかったし
漫才師への道はずっと諦めきれないままネタを書き続けていた。

加えて大学に友達もいないし楽しみなんてないから未練なんてない。
さっさとこんなめんどくさくて危険なところは辞めたかった。

両親も成績を見てどうにもならんことを理解したようで
辞めることについての承諾は早かった。

しかし大学を辞めるということは
実家への無期限勾留を意味することだった。

案の定、私は新しい糸をつけられて
操り人形として正式に復活を遂げた。

さて、この時点で私は“社会不適合者”への道へどっぷり
踏み出しており、もう後戻りができなくなっていた。

大学さえまともに卒業すればまだなんとかなったかもしれない。

いや、高校でいわゆる「普通」の高校生活が送れていたら、

いや、中学で空気にならなかったら、

いや、小学校で尊厳を捨てなかったら、

なんとかなったかもしれない。

いや、私は、最初から間違っていた。

ここから、どんどん社会の見えざる隙間に入っていくことになる。





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