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【短編小説】後悔の行方

 人が何かを後悔する時は二種類あるそうだ。

何かをした後悔と、何もしなかった後悔。
そして何もしなかった後悔の方が大きいから何かをすべく行動した方が良いという話も聞く。
はたして、この話は正しいのだろうか。後悔は二種類なのか。

 確かに経験上、何もしなかった後悔は大きかった。
ああすればよかった、と取り戻せない時間を考えるのは辛かった。
自分が初めて後悔を感じたのはいつだろうと、茜は考えた。

 茜はこの施設で育った。
さまざまな理由でこの施設にやってきた子供たちと共同生活を送ってきた。
その中にはもちろん両親とともにやってきた者もいる。しかし茜は違った。
ここに入所したときにはすでに両親は他界していた。
養母は生活に困り、この施設に入所した。
細かな経緯は聞いていない。
実の子のように接してくれる養母のことを茜は好きだったし、
その想いに応えようと実の両親やこの施設に来ることになったわけは聞かないことにしていた。
それとは裏腹に、学校の友人や数少ない遠方の親戚と年に数回会うたび
わざわざ教えてくれようとする。
茜はいつも——大きなお世話をありがとう——と言って話を聞かずその場を去ることにしていた。
だから友人も少なく、今では親戚の誰も茜を相手にしなかった。

 茜自身はここでの生活は嫌いではなかった。
中には、規則やルールに不満があって出て行きたがる子もいた。
茜はそんな子を横目にみながらいつも思っていた。

——ここを出たら後悔するだけよ——

茜は初めて感じた後悔についてまだ考えていた。

 例えば養母から好きなお菓子を買っていいと言われた時、
本当はかわいいおまけのついたキャンディーが欲しかったけど
小さな袋状のお菓子がたくさん入った安価なものを選んだ。
—本当にそれでいいの?—と養母は聞いたが、茜は精一杯の笑顔で
—施設のみんなといっしょに食べるの—と答えた。
小さい袋状のお菓子は、その日のうちに施設のみんなに食べ尽くされ
跡形もなくなくなった。茜はそのうちひとつかふたつしか食べることができなかった。
空っぽになった袋が、ゴミ箱にくしゃくしゃに捨てられているところを見て本当はかわいいおまけだけは残ったのに、と思うと気を使わずそっちを選べばよかったと思った。

これは後悔になるのだろうか。
二種類のうちどちらの後悔になるのだろう。
何かをした後悔と、何もしなかった後悔のどちらなのだろう。
おまけ付きのキャンディーの件はどちらの後悔になるのだろう。

あの男が施設を去ったあと、茜が処理を頼んだ男は後悔をするのだろうか。
あの男を掃除したあと、後悔するのだろうか。

「茜ちゃん、元気がないようだけど大丈夫?」
「大丈夫よ。最近成績が芳しくなくて悩んでいるだけ」
施設の庭で花壇で花を摘む老婆が心配している。
「ねぇ、後悔ってしたことある?」
茜は老婆に唐突に訪ねた。老婆は突然の質問に驚いたようだった。
「そうねぇ。思えば後悔ばかりの人生ね。私はどちらかと言えば
引っ込み思案だったからもう少し強く生きていけたらよかったかもしれないわね」
「もっと幸せだった?」
「そうとも言えるけどそうでもないわ。だってその後悔があって今があるんだもの。確かに当時は後悔して辛い思いもしたわ。だけど今となってはその後悔が私にとっては糧になったし、勉強になったの」

「タケ子さんてすごいわね。なんだか先生みたい」
「あら、ありがとう。まだ腕はなまってないみたい」
老婆はしたり顔で笑った。
「え?タケ子さん、先生だったの?」
今度は茜が驚いた。
「ずいぶん前の話よ。小学校の教師だったの」
「だからいろんなことを知ってるのね。納得だわ」
茜は心から感心した。

「あの男性、悩みが多そうだったけど大丈夫かしら」
「どうして?」
「だって、あの方はここに助けを求めてきたわけじゃなさそうだったから」
茜は昔の人はすごいと思った。老婆はあの男の態度や茜の口調、雰囲気を
一瞬で読み取っていた。
「確かにあの男性はここにいる人とは少し違うみたい。助けを求めてというより協力を仰ぎに来たみたいだったわね」
—そうなの—と言いながら老婆はまた花を摘み始めた。

「じゃタケ子さん、私はやることがあるから行くわね。また明日会いましょう」

茜がその場を去ろうとした時、老婆に呼び止められた。

「茜ちゃん、無理はしないことよ。黙って何もしない方がいいことだってあるの。諦めるんじゃなくて、何もしないということをするのよ。そしたら
何かした後悔でも何もしなかった後悔でもないから。ただ黙って成り行きに身をまかせなさい」

茜は何も言えなかった。
この老婆は茜がこの施設で何をして、何を知っているのかを理解しているのかもしれない。汚れた清掃をしている茜にとってはこの老婆にだけは知られたくないことだった。
茜は何も返すことができなかった。

—お勉強—と老婆が小さな声で言った。
「たまには息抜きも必要よ」そう言って摘んだ花を少し束にして茜に渡した。

茜はその小さな花束を受け取り—ありがとう—と笑った。
茜は少し前にもらった花束にそれを加えた。
「確かに息抜きは必要みたいね。タケ子さんに心配されちゃうから」

二人で笑って、茜はその場を後にした。
事務局へ向かう。あの男はまだいるだろうか。まだ無事だろうか。
何もしない、をしようと茜は事務局へ向かう。

茜が何もしなかったことにするために、茜は走った。
手に持った花束が揺れていた。





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