【短編小説】世界の跨ぎ方
浅井は、数分間沈黙していた。
京極とその仲間に連れられ、工場が立ち並ぶ地域に入った。
工場ばかりが並んではいるが、稼働している工場は数える程しかないようだ。遠くでサンダーの音や何か固いものを何度も叩く音が聞こえる。
その中の一つの工場の前で車は停まった。
狭くもなく、広くもない。おそらく工場という括りで見れば狭い方になるのかもしれない。それでも数十人は難なく作業ができるほどの広さだ。
京極とその仲間は慣れた感じでその工場のシャッターをあげた。
「浅井さん、どうぞ中に」
スキンヘッドの男が浅井の背中を優しく押した。
浅井は気乗りはしなかったが、ここまで来てしまって帰ります、というのは逆に何をされるかわからなかったのでその背中の優しい圧力に従うことにした。
シャッターを開けて最初に目に入ったのは大きな壁だった。
壁、に見えただけで壁ではない。おそらく何かの機械だろう。
何のための、どう動くのか、そもそも動かしているのかはわからないが相当大きい。スキンヘッドの男は浅いより二、三歩前に出て、その大きな謎の機械の下を潜るようなしぐさをしてみせた。
浅井はそれに倣い、機械の股を潜るように奥へ進んだ。
その先にはまるでどこかのベンチャー企業のようにデスクとコンピューターが並び、十数人の男女が何かの作業をしていた。
ある男はヘッドセットをつけ、パソコンと話をしている。
ある女は自分の身長ほどの透明なアクリル板を指で擦るように操作している。その他にも数人の男女が集まって立ち話をしていたりした。
「あの、ここって一体どういうところなんですか?」
「こいつらはな、わしの友人だよ」
京極は誇らしげだった。
「友人、ですか?みなさん何をしているんですか?」
「その前に、君には知っていて欲しいことがあるのだよ」
浅井は—はぁ—と頷き、忙しそうに動く集団を眺めていた。
「ここじゃ落ち着かんか。久利須を呼んでくれ」
京極は、一番近くにいたパーカーにヘッドフォンを首から下げた白人男性に声をかけた。その白人男性はにっこり笑い、パソコンを操作した。
「少し待ってくれ。世話役をよんだからな」
京極はそういうと、スキンヘッドの男と何か密談を始めた。
スキンヘッドの男は京極の口元近くに耳を持っていき、時折頷くだけだった。その間、京極や浅井の前を数人が通った。
その度、微笑みかけられたりやぁ、と挨拶をされたりした。
浅井はその度、どうもとかこんにちはとか普通の挨拶を返した。
スキンヘッドの男はいつのまにかいなくなっていて、
京極は一番近いデスクにいる女性とパソコンを眺めていた。
浅井は所在なさげに辺りを見回していた。
「すいません、遅くなりました。久利須です。浅井さん、でしたね」
スーツ姿で身長の小さい男が声をかけてきた。
この男がさきほど京極がよんでくれと白人男性に指示をした人物だ。
久利須と名乗る人物は女性とパソコンを眺めている京極を一瞬だけみて
—ここじゃなんですから—と手を広げてこちらへどうぞ、と促した。
浅井はもう言われるがままについていくしかなかった。
「京極はああ見えても忙しいんです。しかもいったん集中すると他のことは見えなくなる体質でして。たぶんあなたをここに連れてきたことも今は忘れていますよ」
「あの、これからどこへ行くんです?」
浅井はとりあえず最初の不安を取り除きたかった。
「あ、すいません。今から行くのはただの応接室というか休憩室というか。
なんてことないただの部屋です」
浅井はそのなんてことないただの部屋が不安なのだと言いたかった。
聞き方を間違えたとも思った。
「今から私は何をするんですか?」
「話を聞いていただきたいと思ってます。あなたは今、インビジブルな状態だと伺っていますので、まずはその自覚を持っていただくために話をします。その話が終わる頃にはオメガも届いているでしょう」
わからない言葉が数点あった。
ただそれを歩きながら聞く気にはなれなかった。
久利須はデスクの間を颯爽と通り抜ける。浅井はそれに合わせて追従した。
まるでアヒルの子のように後を追う。
やがて普通のドアの前についた。
普通のドアではあるものの、ここが最初にみた大きな機械がある工場だと思えば不自然なほど普通のドアであった。
「ここからは階段です。下へ降ります」
「下?地下があるんですか?」
「そうです。でも過ごしやすいですよ。ここよりは」
久利須はポケットから鍵の束を取り出し、ドアの鍵を開けた。
浅井が何となく上を見上げると、中二階があることに気がついた。
その中二階には小さな小部屋があるようで、窓からこちらを見下ろしている中年男性が見えた。
久利須がその男性に手を挙げ挨拶をした。中年男性もそれに合わせて手を挙げた。
「あの部屋はこの工場のセキュリティを管理している部屋です」
「セキュリティ?」
「はい。今使ったこの鍵、次回は使えません。もう権限を失いましたから」
「どういうことでしょう?」
浅井と久利須は階段を降り始めた。浅井は何階分降りるのかが気になったが
それはもういい気がして、別の質問をすることにした。
「この鍵は一見して普通の鍵にみえるでしょう?でも違うんです。
この鍵には解錠するためのデータが書き込まれているんです。
で、鍵穴に差し込んで、そのデータを読み込ませる。
データが鍵穴と合致すれば解錠、合致しなければこの工場のすべての機能が停止します。一回きりしか使えません。今度入るときにはまた別の鍵が必要です」
浅井は久利須が手に持っている鍵を眺めていたが、何の変哲もない鍵だった。浅井の自宅の部屋の鍵となんら変わらないのに、と不思議だった。
何階分降りたかはわからなかったが、また扉が表れた。
その扉は最初に通った事務的な普通の扉と違って、使用感があった。
久利須がノックをした。すると中から返事が聞こえ、鍵を開ける音が聞こえた。久利須が扉をあけ、—どうぞ—と促す。
中は普通の部屋だった。普通のアパートの一室のような、まるで一人暮らしの大学生の部屋のようだった。
中央には普通の家庭用の机が置かれ、調味料が机の隅に置かれている。
テレビとソファがあって、小物が置かれていて花も活けてある。
どかかで見たことがありそうな部屋だった。
久利須が椅子を引き、浅井を座らせた。
「さっきの場所よりこっちの方が落ち着くでしょう?」
久利須はスーツのジャケットを脱ぎ、椅子の背もたれにかけた。
気がつかなかったが部屋の中にはもう一人いた。
若い女が浅井に—コーヒーでいいですか?—と声をかけた。
浅井はとりあえず頷き、部屋を見回した。
「とりあえず、ぱっと必要なことだけお話ししましょうか。
浅井さんが疑問に思うことやわからないことから解決していきましょう」
久利須が机の対面に座りどんな質問でも答えてやるぞ、といった雰囲気で浅井を見た。
「えと。とりあえず、さっきおっしゃっていた私の今の状態がよくわかっていなくて」
「そうですね。ではそこからお話ししましょう」
久利須は若い女に何かを指示したが、その単語もよくわからなかった。
「いいですか、浅井さん。あなたは今この街ではインビジブルという立場です。インビジブルとはスキャンの結果身元がわからない人間ということです。スキャンをしているのはAIです。この街はAIが運営していると思ってもらって構いません。スキャンの結果、身元不明もしくはスキャンが妨害されたりすれば警察へ連行されます。あなたは先ほどスーパーのAIでスキャンができませんでしたね。残念ながらあなたは数時間後には指名手配されます。
身元不明者は犯罪者と同じ扱いです」
「ちょっと待ってくださいよ。私は犯罪者じゃないんですよ。スキャンできないぐらいで捕まるんですか?」
「はい。この街ではそうなんです。そもそもこの街に入るためには手続きが必要です。その際に渡されるのがこの《オメガ》という端末です」
久利須はスボンのポケットから携帯電話を取り出した。
「携帯、ですか?」
「携帯電話としての機能ももちろんありますが、言うなれば小型のコンピューターとも言えるし、IDカードとも言えます。これを持っていなければ、この街ではインビジブル、すなわち身元不明の透明人間というわけです。
浅井さんは正式な手続きを行っていらっしゃらないようです」
「正式な手続きってどこでどうやるんですか?」
「まず転居前の住所がある役所でこの街に移住、または観光に行く旨を申請します。その申請が通れば仮の許可証が発行されます。その後この街のウェブサイトへのアクセスができますのでそこでオメガの申請をします。
後日オメガが届き、この街へ入るとオメガは自動的に起動し、難なく生活が送れます。浅井さんはこの手続きの中のどれもなさっていませんよね?」
浅井はこの街に入る時、後輩の長谷部に頼んで送ってもらった。
そもそもただ県や市をまたぐのにそこまでの手続きが必要なことすら知らなかった。
「まるで外国に行くみたいな感じですね」
浅井はため息混じりに言った。久利須はにっこりと笑い、応えた。
「外国?いやいや、もう違う世界に入るようなもんですよ」