【まさかの】実家脱出の切符ゲット!?
私は本気で漫才師になると決めた。相方もやる、と言った。
相方はもともと俳優になりたかったらしいが、
元々の素材が俳優向きではないことは自分でもわかっていたらしく、
雑な言い方をすればテレビに出れればそれでいいというような感じだった。
あとひとつ、相方のことに関して特筆すべきは
KinKi Kidsの大ファンだったことである。
相方はKinKi Kidsと仕事をしたいという夢があった。
私は「アホか。」と思ったけど、ヘソを曲げられても困るので
「売れれば可能性あるねー。」なんてその気にさせていた。
この頃、私たちのクラスはセンター試験に向けて
最後の悪あがきの最中だった。
最終的な志望校を決めて提出、そして三者面談である。
高校時代はほぼ学校にいたので家にいる時間は少なく両親と関わることも少なかったがこればっかりは避けることができない。
母親が三者面談に来ることになった。
私が志望校として提出したのは、私立大学であるF大学。
もともと英語の成績だけ突出してよく、偏差値も常に70は超えていたので
英語っぽい大学、そして県外にあって入れる大学として選んだ。
三者面談では意外なことを言われた。
「お前、ここでいいのか?」
私は一応「英語が得意なので・・・」とありのままを答えた。
担任はなんと公立大学を薦めた。
N大学。
これはこの地域では有名な大学で、
公立高校でも行ける子が少ないと言われる大学だった。
母親も「そこは無理なんじゃないでしょうかー。アハハ。」みたいな感じ。
担任は恐ろしいことを言い放った。
「このN大学は推薦だと筆記試験は英語のみ、
あと面接だけ。この英語の成績だったら難なく合格します。」と。
母親のケツが浮いた。
「推薦いただけるんですかっ!?」
母親は舞い上がってしまって「もうそこにしなさい!」と混乱している。
担任もドヤ顔。
私は検討する、と答え決断を見送ることにした。
というか迷っているわけではなく、この状況だと分が悪い。
私は、公立だろうが私立だろうがどっちでもよくてただこの街を出て、
知っている人がいない地域でリスタートしたかった。
誰も中学時代の私を知る人がいない、
高校時代の私を知る人がいない街に行きたかった。
何よりこの地域では漫才師になるチャンスはなかったし、
N大学は下手をすると実家からも通える距離だ。
東京や大阪も希望してはみたものの、案の定両親に反対された。
東京や大阪は遠すぎる、という理由だった。
やはり家庭内の謎ルールである行動範囲はまだまだ設定されていた。
いくら実家にいる時間が少なくなって関わりが減ったとはいえ、
操り人形は操り人形のままなのだ。
ずっとずっと操り人形のままだったのだ。
学習塾で人気者になっても、
高校で漫才をやっても、
操り人形のままなのだ。
だからどう折り合いをつけるか。
私たちのクラスには大学のランクが記載されたポスターが貼ってあった。
それを眺めたりして折衷案を考えた。
まず第一に実家を出ること。
ということで地元の大学から消す。
次に県外に出ること。
東京、大阪は無理だから消す。
距離として認められたのは実家から特急電車で
一時間半ぐらいで行ける都市。
そして自分の成績、要するに英語が重要になる大学。
あったのだ。
私立大学ではあったが最初第一志望として提出した大学よりランクは上で、
N大学のちょい下ぐらい。有名な名のある大学だったのでそっちを第一志望とした。
両親は渋々オッケーを出した。
担任には小言を言われたが結果オッケーだった。
しかもその大学に推薦してやるとのことだった。
推薦の試験では小論文と面接だったので国語の教科担当との
小論文対策が義務付けられた。
毎日小論文を書いて提出しなければならなくなった。
普段の授業や小テストなどに加え、毎日小論文もやるのかよって
最初はげんなりしたけど、これが意外と楽しかった。
楽しかったというより、漫才のネタを考えるのと
似ている部分があったからなんてことなかった。
むしろ小論文を書く上での技術とか語彙力などは漫才のネタを書くときに
ためになることもあった。
何より小論文で時事ネタやいろんな社会問題について書くことが
多かったり、自分の考えをまとめる作業をしなければいけなかったりで、
漫才の幅が広がっていく気がした。
それまでは自分らの周辺からしかネタができなかったが
小論文を書くようになってから新聞や評論を読むようになり、
政治ネタやニュースのネタも増えていった。
そのとき見ていたのは爆笑問題の漫才だった。
ボキャブラなどではあんまりやらない政治や社会の風刺ネタがすごくおもしろくて、しかもそのネタのおもしろさがわかることが何より嬉しかった。
そうこうしているうちに大学の試験があり、結果見事に合格してしまった。
後日聞いた話だが、大学の方がわざわざ学校まで
合格通知を持ってきてくれたらしい。
私の小論文にびっくりしたらしく、どんな子か確認したかったらしい。
そして小論文での点数がトップだったらしい。
これに関しては事実関係はわからない。
担任にからかわれただけかもしれない。
確かに合格通知を受け取る日に職員室に見知らぬスーツ
のおっさんがいたが、大学の方だったという確たる証拠はない。
わざわざ持ってくることがあり得るのか、そんなに遠距離ではないとしても
あり得るのか疑わしい限りだ。
そしてトップだったということも証明することはできない。
自分でもそんなに大作が書けたとは思わないし、
テーマもそんなに難しくはなかったので他の子もそこそこ書けたのでは?と思っている。
しかし、この片田舎の私立高校の子が書いた小論文にしてはできがいい、
と思われたということはあるかもしれない。
私のクラスのでは模試の結果で得意教科であれば名のある公立高校よりも
成績が良いということは普通にあったし、
そういう勉強の仕方や模試をハックするような
解き方を仕込まれていた。
小論文対策でも、そういう書き方を習得させられたのと
漫才のネタを書き続けていて文章を書くということに慣れていたこと、
そして何よりテーマが “競争と平等について” という私が日常的に
考えているようなことがテーマだったということを考えれば
他の子より書けていたということはあるかもしれない。
あくまでも、漫才の時のように教科担当以外の面識のない教師から
「小論文のできがすごかったらしいね」や
「小論文の話が職員室で話題なっているよ」
などの言葉を頂いたので全てを鵜呑みにはしてはいない。
「小論文が意外とうまく書けていたのかも」ぐらいで認識している。
私は難なく実家からの解放の切符を手に入れた。
そして卒業式。
この日人生で忘れられない日となるのだった。
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