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【大感謝!】私を生かしてくれた場所。

【嗤う狂人 社会不適合者、生誕の秘密】 #003

そんな私にも居場所がまったくなかったわけではない。
私には2つの大事な場所があった。
私が今まで、なんとか踏ん張って来れたのはこの二つの居場所があった
おかげである。

私をそれぞれ許容、、受容してくれた場所だ。

一つは、小学校5年から通っていた学習塾。
田舎の学習塾なのでそんなに人数は多くない。
個性的な教師が多く、
勉強をしに行くところという認識ではなかった。
その学習塾の教師が私にあだ名をつけた。

生まれて初めてあだ名をつけられた。
その瞬間、やっと自分の存在がはっきりしたようで
すごく嬉しかった。

“長男”でもなく、“空気”でもなく、
ちゃんとそこに存在している証のようで泣くほど嬉しかった。

私は本名が大嫌いだから、このあだ名を付けられてから
公的なもの以外はこのあだ名を名乗るようになった。

そして周りの生徒もその地域全体から集まっているので、
自分の学校の生徒より他校の生徒が大半だった。
クラス分けされているのだけれど、もともと「違う学校」という
「違い」があるために私のちょっと変なところは
たいして問題にならなかった。
あとはやはり教師陣が優秀だったのだろう。

学校の教師とは職業のカテゴリーが違うにしてもこんなに同じ大人として
違うのか
、と驚いた。
実際に恋愛相談や人生相談をしたりする子もいたし、
不良の子は地元の先輩のようにアドバイスをされてたりした。

二つ目は、学習塾の近くにあるデパート二階のおもちゃ屋。
これはほんとにダメだろって言われるかもしれないが。
テナントで入っているおもちゃ屋に入り浸っていた。

というのも、実は中学生になってからしばらくすると、
私の行動範囲に対する謎のルールが更新されたのだ。

これには理由があって、他人が聞けばまったく意味不明なのだが
私の認識では至極合理的な理由なのだ。
その理由というのが、

先の学習塾は小学5年から通っているのだが、隣町にあるためバスを使う。
学習塾の最寄りのバス停で降りるのだが、バスの時間が充実しておらず、
だいぶ早い時間に到着する。

幸運なことにその最寄りのバス停のすぐ近くに
祖父や祖母が経営している時計屋があるのだ。
私はそこで時間まで過ごすよう義務付けられていた。

そして、中学生になり学習塾の時間が変更された。
一度帰宅する時間がなかったのだ。
ほぼ学校からそのまま塾へ行くことが多くなった。
日によっては一旦帰宅することはあったが、その際はバスではない。
バスが来ない時間帯なのだ。だからチャリで行くのだ。

さらに、幸運だったのは、
その学習塾の近くには例のおもちゃ屋のデパートがある。
こういうのもなんだが、チャリで行くとすごく早いのだ。

早い道を行くのだ。
そして学習塾の時間までデパートのおもちゃ屋で過ごす。

こういう日が続くと私の両親も、学習塾やデパートまでの距離に
狂いが生じたのか学習塾がない日にも別段禁止されることがなくなった。

そのため日曜など学校も学習塾もない日は
朝からおもちゃ屋までチャリで行き、
オープン前に到着して、
店のスタッフと一緒にオープン準備を手伝い、一日中そこにいる。
店内に座り込んだり、デパートの中を歩き回ったり。

ちなみに私の自宅から、そのデパートまでチャリで最速のタイムは
7分48秒。私の密かな自慢である。
だれにもわかってもらえないのは承知している。

そのおもちゃ屋では、いつもいるメンバーは決まっていた。
大体の子がやはり友達がいなかったり、居場所がなかったりする子だった。
友達として認知はしているんだけど、本名なんて知らなかったし、
その子がどこの学校で、何歳なのかなんて知らなかった。
誰も聞かなかった。もちろん自分も頂いたあだ名で呼ばれていた。
ただそのおもちゃ屋にいるときはみんな友達だった。

朝学校へ行き、そのままおもちゃ屋に行き、時間になったら学習塾へ行く、という生活スタイルだったので、
家にいる時間がかなり減った。
学習塾も10時とか11時に終わるので、あとは家に帰って寝るだけだった。

この中学生時代に、夜中やっていた「爆笑オンエアバトル」というのを
見つけて、「漫才」というのを知った。
おしゃべりだけで、笑かすスタイル。
ずっと志村けんさんの芸を参考にしていた私は、
限界を感じていてこの漫才というものにのめり込んで行く。
この爆笑オンエアバトルというのは、
若手芸人がネタをやるだけの番組だった。
漫才だけでなくコントやピン芸、リズムネタなどいろんなネタを観た。

相方がいないからとりあえずおもしろい話をしなければならないと思った。
どうしようかと考えた時、そういえば学習塾で授業中に雑談というか
「すべらない話」みたいなのを勝手に繰り広げていたのである。
教師公認っていうとアレだけど教師もおもしろがって聞いていたので
「これだ!」と思い、自分のおもしろいと思うエピソードを
ネタ帳に書いていった。

お年玉をとられることや、ゲーム脳、父の言動、母の奇行、
パン代200円じゃ足らんとか、
子供の頃着せられていた変な服の話など・・・

今まで自分が嫌だなと思っていたこと、違和感、コンプレックス、すべてをネタにした。
どんな言い方や言い回し、話し方、声のボリューム、
授業の内容からあまり離れないように、
どうしたら教師も一緒に聞いてくれるかなどを研究しまくった。

爆笑オンエアバトルを録画し、家に帰ってから何百回、何千回と観た。
ビデオテープが何かの番組の重ね撮りなので古くなっていて見れなくなってしまいそうなときは
わざわざダビングまでした。

どうせダビングするならと自分が好きな芸人やおもしろいと思うネタだけチョイスして自作の勉強ビデオを作った。

そして授業中に考えたネタをやるのだ。まるで単独ライブさながら。
勉強したい生徒にとっては迷惑だっただろうと思うけど、
実際はほとんどの生徒は勉強なんかしたくなくて
イヤイヤ通わされてる子がほとんどだったから
別にクレームはなかった。むしろ歓迎された。

爆笑の嵐の日もあれば、もちろんまったくウケない日もあった。
家に帰り、ネタ帳を広げて、日付と「◯」、「△」、「×」の印をつける。
毎日その繰り返し。
果てはおもしろいおもしろいと言われて、学習塾では人気者。


ひとりではなかった。
ネタをしゃべっているときは、本当に気持ちよかった。
誰かが笑ってくれている、
こんな自分をあだ名で呼び、認識されているという安心感があった。

子供の頃から思っていた「ほかのひととちがう」という疎外感が
やっと晴れていった。

むしろこの「違い」こそ一本の光に見えたのだ。

しかし陰鬱な影はなくなったわけではない。
ずっとテレビ画面の向こうから観ている人間がいる。
小学生の私が、テレビ画面の向こうからずっとこう囁いてくる。

「父は笑っているか?」

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