【地獄】路上よりひどい職場。
私は家を出た。
職もない。家もない。金もない。
完全ホームレスの出来上がりである。
行くあてがないから、学習塾やおもちゃ屋があった地域の公園へ行った。
その公園の前には、文化センターのようなセミナーとか
フラダンス教室とかやっているでっかい公民館があった。
そのでっかい公民館は裏手に繋がる通路に屋根が付いていたので、そこなら雨はしのげるだろうとその通路へ向かった。
一応道路はすぐそこに見えているし、
万が一パトカーやら通ったらめんどくさいと思い、
真っ暗な通路を少し進みなるべく奥に入った。
通路の壁に背を預けて座る。
することがなかったので必要なものだけが入ったバッグを開けて、
小説を取り出した。
“The Catcher in the rye”
雨をしのぐ屋根のせいで真っ暗な通路では、ライ麦畑は読めなかった。
小説をしまい、真っ黒な壁を見つめていた。
どのくらい経っただろうか。夜も完全に更けた頃、足音が聞こえた。
警察か?見回りか?
見つかったら何と言う?
「かくれんぼです。」
「僕が、見えるんですか・・・?」
いろいろ考えていると、足音はもうすぐそこだった。
通路の入り口から現れた黒い影は、じっと私を見ていた。
するとその黒い影は私を通り過ぎ、ちょっと離れたところに腰をおろした。
同じように通路の壁を背にしていた。
私は悟った。
「この人は先輩だ。こういう生活の先輩だ!」
こういう人たちには、ナワバリがあると聞いたことがあった。
ここはこの人のナワバリだったのか、
私は人のうちに勝手に上がり込んでしまったようで
居心地が悪くなった。
沈黙。
真っ暗な中私は近くの小石を並べていた。
やることがない。
しかし居心地が悪すぎて一か八か話しかけて見た。
「あの、すいません。ここいちゃまずいですよね。
明日出て行きますんで。」
すると先輩は「別におれんちじゃねぇからいいよ」と言った。
私は小さな声で「どうも」とだけ言い、また黙って小石を並べていた。
先輩の方はというと、ガサガサとビニールを漁っていたり、
でっかいゴミ袋のようなものを枕に転がってみたりしていた。
何分か経った頃、先輩が急に起き上がりまた私の前を通り過ぎ、通路から出て行った。
怖いなぁと思っているとどうやら戻ってきた。
時間にして30分ぐらい。
また足音が聞こえ、黒い影となって現れて、私の前を通り過ぎる。
かと思いきや私の隣に、真隣に腰掛けた。
手には小さなビニール袋を持っていた。
そのビニールからコンビニのおにぎりを二つ取り出して、
そのうちの一つを私の前に置いた。
「飯、食ってねぇだろ?」
2人で黙っておにぎりを食べた。
そして先輩は食べ終わると、こっちへ来い、と促した。
さらに真っ暗な通路を進む。
通路の屋根がなくなり、完全に公民館の裏手に入り込んだ。
室外機やフェンスに囲まれた機械が置いてある。
そのさらに奥の建物の壁とフェンスの間にブルーシートで覆われた何かがあった。
「ここで俺は寝てる。通路は寒くて寝れない。ここは機械がある分冬でもなんぼか暖かい。」
そう言ってブルーシートをめくると汚い布団が押し込まれていた。
そしてダンボールはここで手に入る、
ブルーシートは意外に捨ててあるなど教わった。
私はここで夜を過ごすことを決めた。
しかしずっとここにいるわけにもいかないので日中は
ハローワークで仕事を探した。
当たり前な話なのだが、
履歴書を買うお金がない。
証明写真も撮れない。
履歴書を買っても書く住所がない。
八方塞がりだった。
その時、ウルフがある提案をしてくれた。
ウルフは実家住まいで前々から一人暮らしをしたいとのことであったが
仕事の関係上というかアルバイトだったために家族から反対を受けていた。
ウルフは高校を卒業してバイトをしながら
株や経済の勉強を独自で行いながら一人暮らしのための
資金をちょこちょこ貯めていた。
彼は妙案を思いつく。
ウルフ自身は一人暮らしを反対されている。
しかし資金はある程度目処がついている、
だから私の名前で家を借り、ウルフが初期費用を出す。
私がその家に住み、ウルフ自身もそこを使いたいとのことだった。
要するに私にだいぶ都合の良いルームシェアだった。
とりあえず仕事が決まるまでの仮住所のような感覚で家を借りた。
その家でもいろいろとあったが割愛させていただく。
仕事は意外とサクッと決まった。
市街地にあるイタリアンレストランのホールだった。
イタリアンのレストランなんて生活のレベルからするとだいぶリッチな職場である。
しかしイメージとは違い、
凄惨な職場環境に迷い込んでしまった。
飲食店を選んだのは単純に学歴もない、資格も、
大した経験もないわたしにはそういった職しかアテがなかった。
そして何より、賄いが目当てだった。
その職場は本当に悲惨だった。
オープンは10時なのに私だけ朝7時から出勤させられ、
店内の掃除を全てやらされた。
毎朝毎朝大掃除のようだった。
厨房、ホールは当たり前で店外や倉庫なども
すべてオープンまでにやらなければならない。
一番キツかったのは店内にある観賞用の鉢植えの掃除だった。
自分の身長ぐらいあり、パンパンに土が詰まった鉢植えを店外に出して、鉢植えが入っている籐の籠から出すのだ。
重いのなんのって。
それが約8本ある。
極め付けは籐の籠から鉢植えを出すとき、
大量のゴキブリがわんさか出てくるのだ。
そしてオープンすると
私が普段耳にすることも目にすることもないような料理を客に出す。
コース料理なんて食べたことがないから
コースの順番もまったく知らなかった。
「コースとか食べたことないの?」
「何で知らないの?」
「その歳でコース食べたことないとか大丈夫?」
私はコース料理やイタリアンをよく知らなかったことで咎められた。
専務と呼ばれる人にはしょっちゅう叱られていた。
ゲンコツや罵声は当たり前だった。
確かに知らないことは世間知らずなのかもしれない。
しかし業務に関しては私に経験がないことは履歴書で確認しているはずだ。
そして私がコース料理やイタリアンについて疎いのは
そういうものに触れ合うような生活水準ではなかったことを
彼らは知らない。
「知りませんでした。」など言おうものなら
どこか知らない国の貧しい地域からやってきた
丁稚奉公のような言い草で強くなじられる。
何もしなかったわけではない。
店にあるイタリアンの本を読んだり言われたことは逐一メモをとり、
うっとおしがられながらも必要なことは聞き、
働く上で必要な知識を得ようと努力はした。
しかし彼らはそんなことはどうでもよく、
私の人間性や生い立ち、育ち方が気に食わないのだ。
私はイタリアンといえばピザとパスタぐらいしか思いつかなかったし、
ペスカトーレなんて言われても高校で習ったペレストロイカのことかな?
と思うぐらいだった。
初めてリゾットを目にした時は
ちょっと固めのお粥さんじゃないかと思った。
カプレーゼとかそれっぽく言ってるけど
ただチーズとトマト置いただけじゃないか。
カルパッチョって刺身のことでしょ?
そんな低レベルな環境で生きてきた私が彼らにとっては信じがたく、
許せず、そして何より害悪でしかなかったようだ。
特にデザート担当の男性はひどかった。
暴力こそなかったがデザートが出来上がり、
私が取りに行くとデザートの皿を投げてよこされる。
アイスクリームなどは滑りやすいので
盛り付けが崩れたりするのだが御構い無し。
ある程度はそっと直すのだが、あまりにひどい時は申し出るしかない。
申し出たら申し出たで溜息をつきながら皿を引っ込めて直すのだ。
その間終始無言。その男性は何一つ言葉を発しない。
そんなことは序の口で他にもいろいろあるが
悪口ばかりになるのは本旨とズレるので省く。
私は朝7時からの夕方5時までレストランで働いた。
5時になると賄いを頂く。
作ってくれた人には申し訳ないがあれはひどかった。
手のひらサイズの器にリゾットが少量。
食欲旺盛な子猫ならすぐ食べ終わるぐらいの少量である。
私以外のスタッフは開店中のどこかで休憩をとり、
その時に賄いを食べているのだが、
私の賄いとは大違いの定食みたいなものを食べていた。
私は開店中に休憩がなかった。
5時にレストランが終わったら近くにある支店である
カフェバーに移動させられる。
その前にその少量のリゾットを飲むように食べ、
急いで支店のカフェバーに向かう。
支店はすぐ近くだったので3分とかからない。
行ってすぐ開店準備である。
そしてそのまま夜中の2時まで働いた。
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