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【短編小説】世界線は変更されました
とあるマンションの一室。部屋番号は二二九号室。
細かな住所は明らかにできない。なぜならこの部屋に住む住人のうち数名は
社会に認識されない透明人間だからである。
一応、部屋の扉には《マキタ》というネームプレートが貼ってある。
一般人に溶け込むには一般人と同じようなことをしなければならない。
実際に《マキタ》とよばれる男は住んでいる。この部屋の管理を任されている。《マキタ》という名前は偽名である。他にこの部屋に出入りする者は数名いるが、おそらくそのほとんどが偽名だ。
「マキタさん、マーロウからの伝言聞きました?」
「あぁ。なんだか怪しげな男をこっちによこしたいって話だったよ」
マキタは若いちゃらついた男と話をしていた。
「その怪しい男ね、調べたんですけどクセが強いんです。どうします?」
「どうって言われてもね。会ってみないことにはなんとも」
「え?会うんですか?」
「問題あるかな?」
マキタはちゃらついた男の方は見ず、パソコンのモニターだけを見ていた。
「問題あるでしょ。おれなんてここに入れるまで5年かかってるんですよ?それをパッと出の怪しい男はすぐ入れちゃうんですか?」
「お前が信用ならなかったんだろ。そもそもお前がここに入った時はおれは知らんからな。前任者に言えよ」
「今はマキタさんが責任者でしょ?簡単に会うとか言っちゃだめですって」
「落ち着けよ。怪しいけどそれ以上に大したタマだよ、こいつは」
「マキタさんも調べてたんですか?」
「おれは給料分の仕事はするタイプなんだよ」
マキタはモニターを指さしてちゃらついた男にモニターを見ろ、と促した。
「あらら。結構エグい動きしてますねぇ。ていうかこれどうやって調べたんですか?おれの調査には出てこなかった情報じゃないですか」
「だから、給料分の仕事はするって言っただろ」
「ほんとこわいわ、この人は」
「問題は二つ、いや三つだな」
マキタは回転式の椅子をぐるりと回し、ちゃらついた男の方を向いた。
「三つ、ですか」
ちゃらついた男は黒目を上にあげ、考えた。
「いいか?まずこの男、怪しいなんてもんじゃない。個人でここまでできるとは思えない。何かの組織の後押しか金主がいるに違いない」
「やっぱ《アオゾラ》ですかね?」
「いや、逆だよ。おれたち意外にも《アオゾラ》を狙ってるやつらがいるってことだ。それが共闘か合併かを打診しようとしているのかもしれない」
「いいことじゃないですか。仲間が増えるってことですよね?」
「バカかお前は。問題はそこじゃないだろ。いいか?そもそもなんでそういう危なっかしいやつがマーロウと知り合いなんだ?おれたちの組織をどうやって知った?」
「あ。確かに」
「ひとつ目。どうやってここ、二二九号室の存在を知ったか。
二つ目。マーロウとこの男の関係」
マキタは人差し指と中指でナンバリングを示した。
「はいはいはいはい。たしかに。で、あとひとつは?」
「お前は一回一回言わないとコーヒーのひとつも淹れやしないってことだ」
三つ目は薬指でのナンバリングはせず、人差し指をそのままちゃらついた男へ向けた。
—すぐに淹れます—と言いながらちゃらついた男はキッチンへ向かった。
「マーロウの野郎は何を隠してるんだ?この経歴の中にあの男との関係を示すものがないものか」
マキタはキッチンでコーヒーを淹れる男には聞こえない声でつぶやいた。
モニターにはマーロウの経歴がこと細かに表示されている。
合法的に知り得る情報も、非合法でしか知り得ない情報もどちらも含まれていた。
「会ってやってもいいんだぜ、ただ問題はマーロウとの関係なんだよ。
マーロウはいいやつだが少しばかりムラっけがある。万にひとつあるかないかの可能性でおれたちに弓を引くってこともあるかもしれない」
マキタは他のメンバーの相談すべき事項かもしれないと思っていた。
しかし他のメンバーを招集することは避けたいのだ。
セキュリティ面をしっかり確保するために相当の気と労力と金を使わなければならない。
マキタは椅子に深く腰掛け、コーヒーを待ちがながら、
「怪しげな男と信用できないマーロウ、コーヒー一杯に時間がかかるバカ。どれから潰そうかね」
と嫌味と皮肉をたっぷりこめた独り言を聞こえるように言った。
キッチンにいるコーヒー一杯に時間がかかるバカがそれに応える。
「その怪しげな京極って男、一旦さらってみますか?」
それと同時刻。
京極もマキタと同じようにパソコンのモニターを眺めていた。
京極のモニターはマキタと違い、誰かの経歴や情報ではなく、
何かのグラフのようなものが表示されていた。
「京極さん、コーヒー淹れたんですけど飲みますか?」
「朝陽くんは気を遣い過ぎだよ。わしの世話はせんでいいのだ。
まぁでもありがたくいただくとしよう」
こういうところもマキタとは違う。
京極は朝陽を舎弟のようには扱わず、あくまでも対等な関係として付き合っていた。
「どうですかね、何かわかりました?」
「何かと言うと?」
「いや、中川さんの件」
「中川さんの件と言うと?」
京極はこういう本気か揶揄っているのかわからない問答をよくする。
朝陽は最初の頃こそやきもきしたが、今はもう慣れたものだ。
「やっぱり中川さんのパートナーは《アオゾラの会》に入会したいんでしょうか」
「いや、どうだかねぇ。そもそも《アオゾラの会》は入会金なんてないんだよ。入会もそこでの生活もすべて無料なのだ。だからその中川なにがしのパートナーはタチの悪い詐欺に引っかかったか、あるいは引っかかったのが中川なにがしだってこともあり得る」
「やけに詳しいですね、《アオゾラの会》のことについて」
「まぁね。興味があるんだよ。そういう話に」
京極はモニターをじっと見ながら朝陽の話に答える。
「京極さん、さっきから見ているそれ、何ですか?」
「これかい?」
京極は回転式の椅子を回転式の椅子をぐるりと回し、朝陽の方を向いた。
「これはな、世界線の観測データなのだ」
—はい?—と朝陽が怪訝な顔をした。
「いいかな、朝陽くん。世界はひとつではない。いくつも存在し、今この瞬間も増え続けている。君やわしや誰かの選択の分だけ世界は分岐し、世界はどんどん無数に増えているのだよ」
京極は—はぁ—とため息のような返事をする朝陽の顔を覗き込むようにして続けた。
「君は今まで通り慣れた道が違って見えることがなかったかい?まるで自分が迷子か客人のように感じることはなかったかい?」
「まぁあったかもしれないですね」
朝陽は質問の意図を汲み取れずにいた。
「それがどうしたっていうんですか?」
「それはな、小さな、すごく矮小なパラレルシフトなのだ。世界線が移動したということなのだ。その移動を観測したデータがこのモニターに表示されとるわけだな」
朝陽はまた京極のヨタバナシが始まったと思った。
そもそも今日は朝陽の家の隣に住む中川さんの悩みを解決するために協力してくれるというからここまで来たのだ。
朝陽は少し不機嫌になっていた。
「あの、中川さんの件は協力してくれないんですか?」
「協力してるじゃないか。わしが協力すると言ったのだ。だからこうやって協力しているじゃないか」
京極も朝陽の言いように少し腹を立てたようだった。
「中川さんの件とその世界線というのが関係してるんですか?」
吐き捨てるように朝陽が詰め寄る。
「大いに関係があるのだ」
まさかの回答に朝陽はたじろいだ。
「いいかい、朝陽くん。さきほどは《アオゾラの会》とは関係がないというように聞こえたかもしれないが、そう断定はしていないのだよ。
むしろ《アオゾラの会》が関係している可能性は非常に高い」
「だってさっきは《アオゾラの会》は入会金なんてとらないって言ってたでしょう?」
「表向きはな。しかし考えてもみれば《アオゾラの会》の収益、金の源泉がまったく不明なのだ。普通に考えればそういった金が動いていてもおかしくはないだろう?巧妙に隠されていて痕跡すら残さず金を受け取っているのかもしれん」
「あの、その話と世界線がどうのって話がいまいち繋がらないんです。もう少しわかりやすくなりませんか?」
「いいだろう。ここを見てくれ」
京極はモニターに映るグラフの真ん中あたりに人差し指を置いた。
—これはもしかして—
朝陽が小さくつぶやく。
「そう。この日付は、この街に《雫》が降った日だ」
朝陽はモニターから目を離さなかった。京極がこれから言わんとすることを早く知りたくて、モニターの表示を舐めるように見た。
「そして、その日から約一週間後に《アオゾラの会》が発足している。奇妙だと思わんかね?それまで大した金を持っていなかった者が急に街ごと造り替えるほどの資金と技術を身につけたのだ」
朝陽はまだ黙っていた。京極は黙ったままの朝陽の横顔を確認して続けた。
「その中川なにがしという男とそのパートナーはおそらく《アオゾラの会》に踏み込んでしまっていると考えられる。しかし現在どうすることもできない。今や警察ですら《アオゾラの会》と密接に連携しているからな。
助けたいのならば、《アオゾラの会》の正体を掴むしかないのだ」
朝陽はことの重大さと中川さんの行く末を同時に考えた。
「えっと。《アオゾラの会》と中川さんたちと世界線はどういった関係があるんですか?」
さきほどのようないらつきはもう消え失せていた。
「グラフの下の方を見るといい」
そこにはある一文が無機質に表示されていた。
「うそでしょ。これほんとなんですか?」
「《アオゾラの会》と世界線は必ず何かの関係があるのだ。中川なにがしが助かるかどうかはこの謎がとけるかどうかにかかっておると言っても過言ではない」
この街に《雫》が降った日。《アオゾラの会》が発足した日。
グラフの下に表示されている無機質な一文から朝陽は目が離せなかった。
《世界線は変更されました》